母性で学級を経営する
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当時、わたしはあることを思っていた。
それは、母性で学級を経営する、ということだ。
別に母性と言っても父性と言ってもいいと思うが、わたしのイメージする「母性」でいくと、
「否定せず、ありのまま、そのままを受け入れるだけのあり様」
という、ごく人間の持つ、自然な状態。
これで、育児ができないだろうか、と思った。
もちろん。
心のあり様、こころの姿勢については、男女や性差などいっさい無関係である。
人間であれば、相手を否定する、という特殊なことは、ふつうは『無い』のだと思う。
あるのであれば、やってみれば分かるが、それはとにかく苦しい。
相手を否定した瞬間に、断末魔のような悲しみと苦しみと泣きたくなるような黒い感情が噴出してくる。
そんなもの、いっさいなく、母性で子育てできたらいいのに、と思った。
要するに、わたしは面倒なのがイヤなのである。
まわりみちをして、わざわざそんなイヤ〜な感情を味わってまで、相手を否定したくない。
といって、迎合するのも、自分の意思をまげるようで、それはしたくない。
Aちゃんのいう意見や考えに迎合するのでもなく、Aちゃんを否定するのでもない。
つまり、相手がどうであろうが、無関係に、自分勝手にやることにしたのだ。
こういうことを口で説明したり、今もこうやって文字で書いてみたが、おそらく何もツタワラナイだろう。
多くの人は、わたしがこういうことを言うと、
「子どもを無視している」
というが、そうではない。
無理をしていないだけだ、と思う。
それに、子どもの邪魔はしないのだから、むしろ尊重しているのだと思う。
また、別の言い方で、わたしのことを
「あなたは勝手だ」
という人もいるが、そうではない。
どうしようもなく、個々人の人生は、べつなのである。
それが本来なのだ。
そして、それが、実は子どもの本当を大事にする、ということなのである。
・・・
そこで、わたしは一切子どもを叱らず、やっていこう、とこころに決めた。
ドキドキしながら、コンパを組む相方の先生にそのことを伝えてみると、案外あっさりと
「はい。ついていきます」
と言っていただいた。
すばらしい。
これこそ、学年主任の力、なのかもしれない。
遠慮せず、学級の方針を打ち出せる。
これで、叱らない、をやれるかも!と思うと、うれしくなった。
わたしは、奮い立った。
2年生の担任として、わたしは初日を迎えた。