責めあうことのない社会づくり
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教員になって、めざしたのは、「責めあうことのない社会をつくる」
これを、指示命令でもって、
「はい。責めあってはいけません!」
と指示をいくら出してもそうはならないだろう、という予感はあった。
「こら!そこ!!責めあうなと言っただろうがッ!」
「罰として、給食のおかわり、なしっ!」
・・・
こんなのは、本末転倒ですし・・・。
そこで、指示命令ではなく、本心からもって、責めあうことが必要なくなるような社会にしなくてはならないことに気付いた。これが、まず第一のポイント。
責めあわない社会は、形や見た目でなく、本心でそうなることが大事。
ところが、教師になってやることは、指示命令ばかり。
そんなことないだろう、と思っていたが、教師になって1,2年目、とくに最初の頃は、遠慮してしまっていた。
「新米の癖に」
「教師になったばっかりのやつが、何を言う」
「きみはまったく教師の仕事がなんなのか、分かってない」
と、責められることが不安だったのだ。
だから、一生懸命に、
〇きちんと叱れるように
ならなければ、とガンバった。
ところが逆説というやつで、叱れば叱るほど、子どもは本心を隠し、いじめが起きるし、ぎすぎすとした空気が生まれるし、楽しくなくなる。
そこで、楽しいことを取り入れないといけないと思った。
先輩の先生に相談すると、
「そりゃあ、叱ってばかりじゃあだめよ」
と、ナイスなアドバイス。
「叱ったあとは、3倍ほめるのよ!」
と、まさにわたしが必要としていたアドバイスが下りました。
そこで、わたしの仕事は3倍に増えた。
叱る、ほめる、叱る、ほめる、叱る、ほめる・・・
これ、半分、うまくいったようにみえました。
なぜなら、子どもたちが、わたしを好いてくれるようになった(ように見えた)。
ギスギスした空気はなくなって、わりとほんわかしてきた。
わたしは、これで学級経営はうまくいきはじめた、と思った。
ところが、やはり、責めあう。
責任をなすりつけあう。
当番の仕事をいやがる。
見た目は仲が良いけど、本当に溶けあうような関係にはならない。
わたしが、
「どうなのかなー、うちのクラス」
というと、仲の良い同僚の先生が、
「いやあ、先生のクラスはうまくいってますよ。ちゃんと行事もこなすし、きちんと授業も受けている。仲良くサッカーとかもしてるし、女子だってトラブルがほとんどないでしょう。できたほうですよ」
と言ってくれた。
ただ、皮肉にも、こうやって言ってくれると、やっぱり、わたしは道を間違えているな、と思うのでありました。
わたしが操作の手をとめると、このクラスは崩壊するな。
これでは、本当にこの子たちが、自力をつけたとはいえない。
これが、最初の4年間でありました。
5年目の春。
転機が訪れます。
校長室によばれて、
「あ、新間さん。2年生の担任をしてほしい。ついては、学年主任ということで」
この瞬間、わたしの頭の中に、ピカーッと、光り輝く火の玉が見えたような気がした。