[]子どもにとっての『適温』

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幼い頃、おじいさん、おばあさんを観察していると、



ぬるい感じ



がしていた。



シュッとして、チャンとして、カチっとしているのが、自分のママなのだとしたら、



祖父や祖母の家にいくと、なんとなく感じる、「ぬるさ」。





そうじ機も、自分の住む家の掃除機は、シュッとして、かっこいい。



デザインが、いい。



しかし、ばあちゃんが使う掃除機は、なんとなくもっさりとしてぬるく、



爺さまがわかす風呂は、ぬるかった、のであります。



まあ、わたしが幼かった、というせいも、ありましょう。



そりゃそうで、熱過ぎる風呂に、孫をいれようとは思わない。









いや、わたしがここで言ってるぬるさは、温度のことじゃない。



そうじ機にしても、母親なら、パッと手に取って、シュッと電源コードを差し込み、たちまちにして、サーッ、サーッ、と掃除をはじめる。



ところが、おばあちゃんはですね。



もっと、動作がのろいんです。はっきり言えば、遅い。



まず、コードが掃除機にまきつけてある。



それを、ぐーるぐる、ぐーるぐる、と・・・。



次に、ようやく掃除機をもちますが、一回で、スイッチが入らない。



何度か、指の先をすべらせて、ようやくパッチン、と入れる。



そこでサーッと始まるかと思ったら、そうじゃない。



そうじ機の吸い口が、やたらとつっかかる。なにかにぶつかるわけでもないのに、スーッといかない。



重そうに掃除機の本体を引っ張り、コードがひっかかり、ガタガタ音がして・・・音まで、ぬるい。



しかしそれでもばあちゃんは、丁寧に掃除機をかけて、ああきれいになった、とわたしにむかって、にっこりとして見せる。







今思うと、子どもを育てるのは、この「ぬるい」感じが似合うと思うねえ。



「遅い」とか、「のろい」とかだと、非難されて責められそう。



しかし、「ぬるい教育」だと、なんだか許される気がする。



とくに漢字で書くと、「ぬるい=温い」。





わたしは母親の掃除するところは、なにやら追い立てられる感じがして、見ていられなかったけど、



ばあちゃんが掃除しているところは好きで、ずーっと、飽きないで見ていられたもんネ。



子どもには、適温がある、ということか。



ぬるい