[]「責められないために、一生を費やす」の件

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人は、責められないために、一生を費やして、終わる。



親に責められないように、〇〇しよう。

兄弟に責められないように、〇〇しよう。

友人に責められないように、〇〇しよう。

恋人に責められないように、〇〇しよう。

パートナーに責められないように、〇〇しよう。



上司に責められないように、〇〇しよう。

部下に責められないように、〇〇しよう。

客に責められないように、〇〇しよう。



それで、終わる。



たった、一度しかない、人生が。







おまけに、責められないようにしよう、とものすごく努力しても、

結果として、責められることがよくあるもので・・・



なぜ、なんでしょうね?



むしろ、「責められないように」と頑張っている人ほど

責められて困惑していることが多いようにさえ、思う。





不思議だねえ。









ところが、



責められようが、ぜーんぜん気にしない。



と、いうことになると、



保護者が電話をかけてきて、



「先生、〇〇(子どもの名前)の母です。先生、来年度は何年生の担任をされるのですか?ぜひ、弟の◇◇の担任になってほしいです」



だって。









さかさまなんだよナ・・・





なんでだろう?





こっちは保護者など眼中にないんだけど。





実は、これ、からくりがありまして・・・





説明されると、みんな分かる。



なーるほど・・・てなもので・・・







このからくりを、みんなで考えていきたいですネ。







男なんて眼中にない、という女の子がモテるし、



女なんて眼中にない、という男の子がモテるし、



売ろう売ろう、と値段を安くしても売れないし、



あげない、といえば、「ほしい!!くれくれ!!」・・・となる。





なんでだろう?



からくり