[]人は何かをするために生まれてきたのではない。

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充実感や達成感を得るために生まれてきたのでもない。



そもそも、何か事がらを進めたり、達成したものを得るために生まれてきたのではない。



では、なんのため?





人生は、

何かをしてはいけない、というのではない。

しかし、何かをするため、ではない。



では、なんのため?









なんのため?と、問いたくなるのは、なぜか。





われわれ大人は、

社会からの「要求」には必死で応えようとする。

人生からの「問いかけ」には耳を貸さない。

だから、常に、

強い緊張感と切迫感、焦りを感じながら、生きている。







「要求」には関心が無く、

「問いかけ」には真摯に向き合う、というのが、子ども。

だから、真剣に遊んでいる。





毎日すれ違う一年生が、いかにも幸福そうに雲を見上げながら歩いていくのを見てると、



教師も時折、こうやって人生を考えるようになる。

自分は、たった一度の「人生」から、なにを問いかけられているのだろうか。




ひとの人生は、社会よりも価値が高い。

それぞれの人生の価値が高まると、結果として、社会全体の価値が高まる。



人生の価値は、「なにをしたか」ではない。

「なにをして過ごしたか」でもない。

「どこで過ごしたか」でもなく、

「だれと過ごしたか」でもない。

そこには、なにもない。







@黄色い花に霜