[]今朝はもう、ムシに出会いましたか?

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人生の初期段階において、



「なんじゃこりゃー!!」



と叫びたくなることが、とても大事。



とくに、不思議な生き物に出会って、目を白黒させる、ということが、



なににもまして、人生というものに対しての心構えを育てるのだと思う。



どんな体験よりも、この、



新鮮な驚き



がどうしても必要で、不可欠だろうと思う。







幼い頃、人間は二つの種類に分かれはじめる。



世の中を舐め始めるタイプと、

世の中を決して舐めないタイプだ。






大人なんて何も知らないのだ、という本当のことに気付いていながら、小学校へ入学する子は、すでに本能で、「学ぶ意味」を感じ取っているだろう。



しかし、世の中というのは大人のいう言葉や解釈で成り立っている、と信じてしまう子は、それ以外の、膨大な未知の世界に自ら興味を閉ざしてしまい、



世の中は大体、そんなもんだ。

テレビでやってたから知ってる。

大人が言ってたから知ってる。

本で読んだから知ってる。

教えてもらったから知ってる。



という世界に生きるようになる。

こうした世界観の延長には、



「ああ、大体、分かった。そんなもんだろ」



という、舐めた感情が生まれてしまうのではないだろうか。

・・・このことを、私は危惧する。

世の中を分かったと思う「こころ」は、幼ければ幼いほど、奥の、底の方へ、こびりついてしまうように思われる。



人間が知り得ることというのは本当に小さな狭い範囲のこと。

人間があずかり知らない広大な世界が広がっている。

この確信を得ることは、その後の人間の生き方にとても大きい影響を与える。









その辺を、勝手に動き回る昆虫(むし)を見て、



「なんじゃ、こりゃ!!」



と、おどろく、ということの豊かさ。









人間の想像、頭の中の世界をはるかに超えてしまう、昆虫の、



「分かったとか、言ってんじゃねえぞ」



という、ふてぶてしい態度が、すぐに世の中を論じて分かりたくなる人間の病(やまい)を救う。









リモコンやコントローラーをいかにいじっても、



昆虫は、勝手に動き回っている。



<ねえ、これ、勝手に動いちゃうよ!>



と、デパートの昆虫売場で困ってた子がいるとか、いないとか・・・。





しかし、そんな子も、いつの間にかムシたちの世界の魅力に取りつかれ、

パラフィン紙と三角缶と補虫網をもって、一人で静かに世界を探索しはじめる。



目つきは、もういっぱしのハンターです。

アゲハやモンシロチョウなどには目もくれず、自分の獲物を狙ってうろつき、1時間、2時間などあっという間。

ついに巡り合ったスジグロシロチョウの雄を捕まえるやいなや、鱗粉の香りを嗅いで、うっとりしています。



そうなったら、もう、一人前!!

奥さん、おめでとうございます。

あなたの息子さんは、立派に自立への道を歩き始めたのです!





さあ、季節は初夏!!

奥さま、今朝はもう、不思議なムシに出会いましたか?


蜂の食事風景