[]なおしなおしの日々

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朝、起きて手洗いに行ったのが、おそらく4時ごろ。



外はまだ暗かった。



それなのに、<教室でモンシロチョウを飼うための箱を探そう>と、ふらふらと庭に出て、物置に入った。



寝ぼけていたのかも。



荷物の奥の方に箱が見えたので、手を伸ばそうとしたとたん、足元のなにかにつまづいて、脚がもつれて前にのめり、あいにく、そこにあった大きな金属の棚のふちで脇腹を打ってしまった。



「うー、いてて」



一人で、うめいた。



<怪我してたら、組体操の演示ができん>



日頃、自分の身体を商品のように考えているのは、だんだんと身についてきた職業意識というわけか。



風邪をひいて、鼻声になったりすると、なんとなく、傷んだ道具で大工仕事をしているような、安い仕事をしている気がして申し訳ない。



脇腹の痛みはしだいにおさまったけれど、なんとなく早朝のしずかな時間に、家族も知らないところで勝手に痛がっていた自分が、滑稽(こっけい)に思えてくる。







朝の静かな時間を、庭ですごした。

まだ青くひんやりとした空気の中で、腹式呼吸、勝手な創作ヨーガ、<嘘くさい>太極拳などをする。



この、嘘くさいヨーガと太極拳は、まともにならったことはないのだが、やっていると、身体がほぐれて、爽快になってくる。嫁様は、この嘘くさい太極拳が大嫌いで、



「ぜったい嘘だし、みっともない動きだからやめて」



と非難するが、ちっとも気にしない。



嫁が眉をひそめる嘘くさい太極拳も、息子には受けが良く、息子はわたしの真似をして奇妙に身体をくねらして遊ぶ。



「へんな動きを教えないで。真似しちゃうでしょ!」



と嫁は怒るが、ちっとも気にしない。







今朝は、嫁も息子も見ていないから、ひとりきりで嘘くさい太極拳を数々こなし、なかなかに爽快な早朝であった。







メンテナンス、という意識はないのだけれど、自分の身体に意識が向くようになってきたのは、多少なりとも、「中年としての心構え」になってきた、ということだろうか。



玄米菜食がよい、糖質制限がよい、酵素摂取が大事など、巷は健康法ブームで喧しい。

自分の身体の状態は今どうなっているのか、よくよくしらべてみないことには、どこかのだれかのいうことに、そこまで頼ってよい保証はない。



自分の身体は、まったくもって、よく分からないことだらけ。



どんな食事で、どんな生活習慣で生きるときが、いちばん調子がよいのか、まだちっとも分からない。



「空腹」が気持ちよい、という感覚があって、それは20代のころから、変わらない。



多少空腹な時に、身体を動かす、ということがいちばん気持ち良い。



久しぶりに、牛の世話をしたいな、と思う朝であった。



春のあぜ道2