[]教師はボケ役がいいのか、それともツッコミ役か

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ボケをかます子に対して、先生に期待される役はもちろん、いいツッコミの役だ。



「ちがうよ!」



だけでも、タイミングが良ければ、面白くなる。







ボケやツッコミの面白さは、高学年ならでは、と言う気がする。



勘違いで大笑いすることや、動きの面白さは、低学年がぴか一で、

友達のユニークな動きやアドリブのオモシロさは、とても小さな子にかなわない。



でも、ちょっと知的でウイットの効いた、頭脳の回転が問われるような面白さは、高学年だ。

6年生だからこそ、という場面がたくさんある。





ボケとツッコミが、テンポよく機能しているクラスは、子どものいい意見が相次いでくる。

テレビで馴染んでいるから、お互いの呼吸が分かりやすいのかもしれない。

そういうときにだけ、チラッと子どもが、自分の本音を語る場合もある。

子どもの、素の部分が、見えてくる。

このことが、いちばん大事だと思う。





歴史で卑弥呼が登場するが、卑弥呼はぜったいにその姿を一般の民の前に見せず、占いで政治を行った、という場面で、



卑弥呼が男か女かどうかすら、本当のことはわかりません」



ということを資料で読んだ子が、資料集を指さし、



「えっ、この人、男なの?」



ギョッとした声を出した。

なぜなら、挿絵に描かれていた絵姿は、まったくの女性であったから。



「ちがうよ!・・・この絵も、本当じゃないんだし」



と、近くの友達がツッコミを入れると、



「えっ、この人、にせものなの?」



と、さらに大声を出す。



あまりに意外な声を出すので、クラス中が笑い出してしまう。





授業の最後に、ノートにまとめを書いて、発表させると、

「ひみこは鬼道をつかいました。魏の国と交流しようとして、奴隷をプレゼントしました。けっこう勢力がありましたが、邪馬台国は滅びました。古墳に埋葬されました。で、結局、男か女か。それは謎ですが、ぼくは女だと思います。なぜなら、魏の国から、鏡をもらっているからです」


聞いていた友達に質問されて、



「だって、女の人だから鏡がほしかったんじゃないかと」



こういう子がいると、クラス中でツッコミをいれることになって、歴史の勉強がたいそう楽しくなる。



教師は、自分がツッコミ役になる技量を備える一方で、クラスの子どもたちが、ボケたり、同時にツッコミにまわったり、とお互いにやりとりできるように、授業を組み立てるべきでありましょう。