[]牛乳を残す子

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牛乳を残している子に対して、わたしはとくに何も指導しない。



これは、



「牛乳を飲みなさい!」



と強く指導することが、保護者にとって体罰と受け止められる事例がある、という市教委からの指導による。



ま、それ以前に、子どもだって体調があろうし、好き嫌いがあっても当然だ。



なんでも食べられる子は、幸せだろう。そのことの価値は子どもたちと話し合うのがいいと思う。とくに、「自分は〇〇が嫌い」ということについて、きちんと大事にして、ゆっくりとじっくりと、それをしらべていくのが、なんといっても楽しい!のだから。







形だけ、



「のみなさい!」

「ハイ!」(ごくごく)




という状況をつくるのなんて、まったく意味のないこと。



とある現象をつくりあげることの意味は薄っぺら。

自分にとってどうか、どう考えるか、考える力を養う、ということが主眼なので・・・。







毎回、牛乳を半分残している子が、1学期、2学期の頃までずいぶん気にされ、責められていたが、この頃はもうさすがに周りから責められるようなこともなく、人はそれぞれの体調もあるよね、都合もあるよね、というやわらかめの理解になってきたことがあって、その子が日記にそのことを書いてきた。



「このごろは牛乳のことではなにも言われません」


4年生の頃、先生からも、クラスの子からも、みんなから責められてた、という。

それがトラウマだったが、このところ、なにも言われないから、よかった、と。



これは牛乳のことだけでなく、クラス全体のさまざまなことに、すべて共通して発生すること。

女子の表情がやわらかくなり、男子もこそこそすることがなくなり・・・。

友達の失敗をあげつらうこと、指摘すること、正しいかどうかに執着すること、友達の視線を気にすること。

すべて、氷解する。

あるとき、一気になくなる。

え、なんで?と、拍子抜け、するくらい、に・・・。





これは、なぜか。





つまり、「仲良くなった」ということネ。





人は、



「責められない」




ということが分かると、まわりを「責めなくなる」・・・みたい・・・。



これが人間の姿だろうと思うよ。

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