[]「いじめ」教育の常識を疑う

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「いじめ」をなくす。

そのために、学校現場ではかなりの取り組みを行う。

実際に、それで効果もあがっていると思う。



だから、それについて、まったく文句はない。

むしろ、わたしもしっかりと、さらに取り組んでいかねば、と思っている。



ところが、ちょっと、思っていることがある。

道徳、人権教育の専門の先生からは、叱られてしまうかもしれないが、今の「いじめ防止」教育とは、真逆のことを一つ・・・。







実は、今のイジメ防止教育は、

「いじめられている子の気持ちになって見なさい」

というものが、多いのです。





ベストセラーになっている本、『わたしのいもうと』(松谷みよ子/文 味戸ケイコ/絵 偕成社)1200円は、その代表作。



いじめられている、いもうと の気持ちを、せつせつと訴えている名作です。



これで、いじめられている子の、気持ちを想像してみると、切なすぎて耐えられない。

自分はもう、絶対に、そういう「いじめ」には、加担しないし、許さない。

そんな気持ちにさせてくれる本です。





ところが、その逆の視点の本が、なかなか、無い。

つまり、



「いじめている子」



の気持ちを、うんと掘り下げて、その子の心情に、ぐいぐいと迫っていくような本です。





わたしは、その、「いじめている子」の側の、さびしさや、切なさ、孤独感、というものこそ、クラスで考えるべきだと思うネ。



実際、あれこれと事件が起きるたびに、クラス会議で考える焦点になるのは、



「加害者となった子のさびしさ、つらさ、生きにくさ、悲しさ」



なのであります。







口汚く、相手を非難し、ののしり、威圧しようとする子。

相手を自分の支配下におこうとし、威張る子。

そんな子自身が抱える寂しさ、つらさ。




つまり、





ジャイアンの孤独、切なさ、悲哀、つらさ





に焦点を当てたらどうなるか。





明確に浮かび上がってくるものがあれば・・・。

人間の弱さ、ひねくれた「ねじれ」のつらさが、見えてくるのではないか。



そこに「ねじれ」が見えてくるのであれば、時間がかかるかもしれないが、その子の、「素(す)」も、見えてくるだろうと。



ふつう、「ねじれ」が見えれば、「素」も見えるよね?



「いじめっ子、ジャイアンの孤独を見る」


だれか、↑こういう題名の本↑を書いてくれないかなあ。

尾木直樹先生、いかがでしょうか?

ジャイアン