[]「やらない」ことにも、価値がある?

4月1日の早朝。



ぼんやりしながら、まだ薄明かりの部屋でまどろんでいると、夢のようなものを見ました。







そこに、なんと、青島幸男が出てきた。



青島幸男が夢に出てくるのは、おそらく、初めてだと思う。







それで、青島幸男が言うのには、



「俺は何もしないために、都知事になったんだ」





どうやら、誰かと話をしているところみたいだった。





目の前の人はぼんやりとしか見えず、だれか知らない。

青島さんは、その人に向かって、穏やかで、しかし、いたずらっぽい顔をしながら、しゃべっている。



「何もしないから、良くは思われないよ。青島、何もしねえじゃねえかって」



記者会見のような、そうでもないような。



「みんな、言いやすいから俺に文句言うけどさあ」







−−−じゃ、なんで、何もしなかったんです?





「妙なことや、やっちゃいかんこと、やると悲惨なことばかり、やりたがる連中がいたんだよ。あん時はね。それを、させないように、俺がドカン、と腰をおろしてた。目の上のたんこぶ役だ。俺は」





−−−なにか、やっておこう、と思わなかったんですか?





「そう。そこが俺のえらいところ。人気取ろうと思ったら何だってできたけど、やったところで、ろくなことないんだ。世の中、よしゃあいいことばかりでね。」





−−−ずいぶん、批判もされましたね。





「わかりやすくて、いいだろ。無能な人間を責めてりゃ、いちばんいいじゃん。世の中、みんな納得する。あいつは無能だってね。仕方ないなってんで、みんな、あきらめてくれるでしょ。それがいちばん、いい形だな。」





−−−目の上のたんこぶだなんて、何もだれも思わなかったんじゃないでしょうか?





「いやあ、歯ぎしりしてた連中、いっぱいだよ。あいつが動かないから、なにもできねえってね。俺がわざとそうしているのを知ってて、応援してくれてた人たちもすごいいっぱい、いたけどね。」





−−−応援していた人たちがいた?



「そう。大勢ね。無能って世間に言われているときに、おれが飄々と<蛙の面>を貫いているんで、涙流して応援してくれてた人、たくさんいたんだ」







記者会見のようなモノ、は、これで終わり。







私は目が覚めて、





今の、なんだったんだ?





と不思議な気分。



ちらっと青島幸男の、さっきのこどもみたいな顔を思い浮かべて・・・。







そうそう。



こういう子ども、結構たくさん、いる。





何もしない、が、メッセージになっている子。






それを、無理になにか、させよう、させよう、としてしまうね。大人は・・・。

大人は、見かけの形が大事だから。



どうしてだろうかね。



やはり、何かをしていてもらったほうが、安心するんだな。先生たちは。



体育会系が、いちばん、いいよ。

あれは、はっきり、とわかりやすい。

体育会系がもてはやされるのは、わかりやすいからだ。

いい汗かいて、熱心に活動しているんだもの。



ともあれ、21世紀の今、「何もしない」のは、特に、イケナイことになっているみたいだからね。



しかし、それを分かっているのに、あえて、見かけ上何もしない、というメッセージを送ってる子たちがいる。



結構、本人たちには、真剣な戦いなの。

でも、今の社会は、それにまともに向き合える社会でないし、その力もない。

社会自体が、かなり未熟、ということ。





やっぱり、根底にあるのは、勤勉であるべき、という価値観なのかなあ・・・。



勤勉ということに価値をおくの、もうそろそろ、やめる時期がきてるんじゃないか、と思う。



勤勉な人殺しほど、人類にとってはた迷惑な存在はないもの。



青島だあ