[]喋りすぎるか、寡黙すぎるか

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自分がしゃべりすぎているか、



それとも、



寡黙すぎるか、どちらかに偏っていないかと、ふと思う。





だれかと話す。



その瞬間、自分は本当に、楽な状態、自然な状態でいるか。



つまり、なにも格好もつけないでいられて、そのまま、素のままで生きているのだろうか。



わたしは、世界中の人が素のままで生きられるのが、いちばん楽で、効率が良く、だれも苦しまないでいられるだろう、と思う。









喋りすぎるのは、なにか、うしろめたいことがあるとき、かもしれない。



また、なにかが怖いのかもしれない。



他人の何かを怖れているとき、人間はしゃべりすぎる。







一方で、寡黙になる時も、なにかうしろめたいことがあるとき、かもしれない。



自分の内部の、怒りをおさえようとして、寡黙になることがある。







日常的なところでは、自分が人と、どんな会話をしているか、



そのときの自分の状態が、どんなだろうか、といつも、気にする。



自分が楽で、さらに、相手も楽になるような、そんなふるまいができるようでありたい、と思う。



そう考え続けていると、



子どもにはこういうセリフで語り掛けなさい、とか



こんなセリフで、やる気を出させよう、とか



そういう情報は、要らんよなー・・・。







言葉は、外からやってくるのではなく、



耳を澄ませば、ちゃんと、自分の内側から、やってくる。



それは、ほぼ、正解となることが多い。(つまり、きちんと、伝わる)







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