忘れ物について

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忘れ物を叱らないのに、なぜか忘れ物がほとんど無くなっていく。



もちろん、最初の頃は、忘れる子もいれば、しない子もいる。



わたしは正直言うと、忘れ物のことなど、指導したことが無い。



というか、私自身が困らないので・・・。







いや、指導したことがないということもないが、まあ使うエネルギーは 「1%」 くらいか・・・。









ただ、子どもが忘れ物をしないようになるので、これはありがたい、と嬉しがっているだけであります。



ほとんど、教師の仕事というのは、この、子の成長というか、がんばりというか、目の輝きというか、積極性というか、たたずまい、やること、なすこと、そこにその姿でいることを、



結局は、



『嬉しがる』



というのが仕事だという気がする。







教員のすべての仕事から、どんどんと事柄をひっこぬいて消していくと、最後に残るのは、



「子どもをみて、うれしがっている」



のが、教師の一番の仕事でありましょう。



わたしは、この嬉しがる、というのが教師の仕事だということに、本当にラッキーだというか、感謝というか、いい仕事だなあ〜、と思う。



いーい、しごとだな〜NHK





うれしがっているうちに、忘れ物が減っていき、子どもも私も、結局はそのことで苦労することはありません。





なぜか、わたしも分かりません。









気を付けていることは、クラスで、忘れ物は悪いことではない、ということだけは決定しています。



教師が忘れ物をする子を罰していると、子どもも同様に、罰する目線で友達を見下すようになります。



そこで、学級は差別が生まれ、いじめの芽がでてくる気風に染まっていくのです。



忘れることは、恥でもなければ、罰せられることでもなく、ただ、わすれた、というだけ、です。



その一点を子どもがたぶん、理解するんでしょうな。



だから、忘れ物が無くなるんだろう、とわたしは勝手に解釈しています。





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