[]同じ服装になる高学年女子のこと

.

気の合う友達と、「みんなで同じ服装にしよう」ということになったようだ。



コートを同じような色とデザインのものにして、お揃いのようにして着ている。



コートだけでなく、中に着る服装も、なんだか同じようなデザインのもの。

当人たちは、ニッコニコ、である。





まあ、ものの一週間もすると、そんなことに急に醒めてしまうらしく、普段通りにもどっていきますよ。大抵は、ね。



こっちは気にも留めないが、頭の片隅の1%だけ、気にする。

そのことが、当人たちを苦しめていないか、という一点について、心配をする。







ところが。

もし、同じ服装、というのが1週間つづき、さらにつづくようだと、心配レベルを少し、上げないといけません。

また、万が一、さらに翌々週も同じ服装ゲームがつづくようだと、ちょっとひとつ、アクションを考えなければならないでしょうな。





わたしは、



「ともだちは、契約してできるものじゃない」




という話をする。



友だちとは、どんな関係のことをいうのだろうか。





たぶん、そのままでいいよ、という関係のことだ。



〇〇してくれないとダメ、とか、契約条件を結んでる?

そういうのが、無いのが、友だち。



〇〇してくれなかったら、にらむ、とか。

〇〇してくれないなら、話をしない、とか。



そういうのは、友達じゃなくて、契約者。

本当に仲が良かったら、契約は要らないもの。









もし、あなたを責める人がいたら、責める方の心に、なにか寂しさや、苦しさがある。

人を責めたくなるのは、自分が寂しかったり、苦しかったりするとき。



寂しくなくて、苦しくなくて、ごはんがきちんと食べられていて、あったかい布団でしっかり寝ているときは、だれかほかの人を、苦しめようとは思わないし、責めようとはしない。



だから、あなたを責める人がもしどこかにいたら、その人は、なにか心が苦しい人かも。



あなたがどれだけ楽しそうにしていても、友達なら、文句を言わない。

あなたがどれだけ嬉しそうにだれかと喋っていても、友達なら文句は言わない。



もし、文句を言いたくなる人がいたら、その人の心が、なにかで重くなっているかもしれない。

だから、その人のことを、心配したくなる。それが友達。







こういうことみんなで考えて、あーだこうだ、と学級で話をしていると。



同じ服装ゲームは、いつの間にか、無くなります。



ひと言も、たったの一度も、「服装」の話なんか、していないのに。



「責めるとは何か」ということを考えていくと、個性が出てくるんです。

不思議です。なんの脈絡もなさそうなのに。



shichaku_woman