[]「知識」と「意見」を分ける その2

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人生をうまく生きるため、知識を得ようと本を読むのは、ムダなこと、なのかもしれない。



そこに潜んでいるのは、すばらしい知識、ではなく、ただの「意見」にすぎない。



半世紀ほど前、母乳かミルクか、どちらが正しいか、という議論があったそうな。



また、3歳児までは母親が育てるべきだ、という意見と、こだわらなくてもいい、という論争があったそうだ。



現在では、どちらが正しい、ということもない、という結論に落ち着いている。




考えてみれば当たり前のはなしで、人生の何が正しいのか、賢いのかなど、いったい誰が決めるのだ。



パン食が正しい、とか、米を食うと馬鹿になる、という意見もあったそうだ。



スポック博士の育児書、という本がベストセラーになり、抱っこはやめるべきだ、と書かれた。



赤子をうつぶせで寝させると、頭の形がよくなる、という言説も登場した。



現在では、どちらが正しい、ということもない、という結論に落ち着いている。




考えてみれば当たり前の話しである。



本人がやりたいようにやればよい。



どちらが賢いかなど、判断基準が異なればまったく逆の答えになる。



そもそも、賢く生きようとすること自体が間違っている(不幸を招く)可能性だってあるんだし・・・。





賢く生きようと意識するか意識しないか、ということ自体も含め、人生の岐路に立つ人も、生涯の伴侶を選ぶ人も、目前の就職先を選ぶ人も、ほとんどの人が、耳に入った情報の偏り加減や、量の多さで、なんとなく右か左かを選んでいるだけ、なんじゃないかという気がするネ。



そんなものに振り回されず、本人のカンで生きた方が、よほどスッキリしている。



本人が第六感で選ぶのであれば、間違っても、他人のせいにすることもないだろうし・・・。



しかし、現状では、テレビでどこかの教授や人気タレント、その道の専門家が言った意見だから、ということで、〇〇した方がいい、と判断することは多いだろう、と思われる。



「〇〇すると、いいんだって」

「へーーー!!」



このような歴史が繰り返されている現状を知ると、これはおそらく、人間の思考の癖なのだろう、と思うネ。



人間は、不安なのだろう。



だれかが強い調子で、断定的、確信的に何か言っているのを聞くと、あたかも、



「そうしないやつは、アホ!」



と言われている気がするのだろう。



その不安から逃れるためには、だまされているかもしれないが、ともかくやってみる、食べてみる、ということになるのではないか?



そして、やればやるほど、「いい」ことをしよう、「かしこく」やろう、という気持ちが、これでもか、というくらいに肥大化する。



ハカセの