[]【道徳】このうらみ、はらさでおくべきか!

.

先日の記事、「銀メダルで、ごめんなさい」のつづき。



「お前はやるべきことをしていない」と言って、人を責めるとき。

自分の心の奥の「恨みや嫉妬心」をなんとかしようとして、人を責める、ということがあります。

根深いものに耐えきれなくなって、それが「人を責める」という形となって、表面にあらわれてくる。



恨みというと、わたしらの世代がすぐに思い浮かべる漫画がある。

藤子不二雄さんの、『魔太郎がくる!!』だ。



「このうらみ!はらさでおくべきか!」



主人公が真っ黒な顔になって、ぎりぎりと歯をくいしばりながら言うシーンが有名です。



またろう2




そこで、恨みを晴らす、ということについて調べていくと、よく分からなくなってくるのね・・・。

つまり、恨みを晴らすとひとくちに言うが、その「晴らした」瞬間というのは、なにをもって晴らしたことになるのか?



対象とする相手が、泣いて謝った時?





でも、

「いまさら謝られても仕方ないのよ」

ということだって、ある。



あのとき、大切にしてほしかったもの。

それを、奪われてしまった、という思い。

あのとき奪われたものは、返ってこない、という思い。



返ってきやしませんよ、そら・・・。



つまり、個々の相手とは無関係に、こちら側の認識だけで、ずっと続いていく。

それが、『恨み』の本質。



実際には、なにをもって晴らしたことになるのか、あいまいなもの。

だから、恨みが連鎖するのだろう。

「恨み」というものは、本来、消えるものではないということかな。

時間が経っても、場合によってはより強くなるときがある。

怨みを晴らそうとして行動すると、「恨みを晴らさなければ、取り返さなければ」という思いが、より強くなる場合がある。あるいは、「晴らさずにいられない」という、強迫的な気分が、より強まっていく。




こう考えていくと、

やはり、最初が肝心なんだね。



人生の初期段階において、すでに、劣等感やら孤独感があるのではないか。満足できない何か、が。

人生のスタートに近い時点から、その気分が抜けきらないまま大人になって、学校に入学したり、就職したり、仕事をしたり、結婚をしたりする。そして、その一つ一つの選択において、隠された動機、つまり「恨みを晴らす」が作用している、ということがある。



「わたしをだいじにしてくれなかった」という思い。

「なんとかして取り返したい」と心の底で・・・。



その、代償としての〇〇を求める。



代償をもとめる、というの。

ありそうですね。

本人は気づかない。しかし、心の奥底に隠された、怨みを晴らなさければ、という動機によるもの。

自分ではそうは思っていないけども、実際には、という・・・。



代償はホンモノではなく、代償に過ぎないから、いつまでたっても満たされない。

だって、それは代償だから、ですよ。

ホンモノじゃないんだから・・・。

かくして、いつまでも満たされない人生ができあがる。



やはり、こういうこと、小学校のうちから、きちんと学ぶのがいいのでは。



自分という人間の理解が、道徳教育の根幹でしょう。