[]銀メダル選手が「ごめんなさい!」

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銀メダルをとった吉田選手が、「ごめんなさい」と謝った。

なぜ謝るかというと、周囲から責められることを想定したから、でありましょう・・・。



この「ごめんなさい」に、違和感を覚えた人がたくさんいたようだ。



「謝らなくてもいいのに」

「だれも責めないよ!」

「銀メダルの吉田選手をなじるのは、不機嫌な酔っぱらいのおやじだけだよ」



とか・・・。



日本経済新聞スポーツ面  2016/8/19 13:34

「絶対女王、まさかの涙 レスリング吉田「ごめんなさい」



「金メダルを取らなくてはいけないところだったのに……。ごめんなさい」。試合後のインタビュー。顔をくしゃくしゃにして、何度も何度も謝った。



 「女王」にふさわしい勝ちっぷりで順調に決勝まで勝ち上がったが、頂点をかけた一戦では24歳の米国選手にジリジリと点差を広げられた。1―4とリードを許して残り25秒。逆転を狙った渾身(こんしん)のタックルが相手の右足を捉えたものの、ポイントは取れなかった。



 「お父さんに怒られる」。試合直後、母の幸代さん(61)と兄の栄利さんが待つスタンドへ駆け寄り、そう話したという吉田選手。幸代さんは「大丈夫、大丈夫」とねぎらい、涙の止まらない娘を抱きしめた。




吉田選手の本当の内面は、だれにも分からない。

世間に対しての言葉か、お父さんに向けての言葉なのか。

また、ごめんなさい、の言葉の意味も、みんなが思っているものと違うかもしれない。

金メダルをとる、と思っている自分に対しての言葉だったかもしれないし。





みんなが反応したのは、どの部分だったのだろう。

「金メダルをとらなきゃいけない」 のところ?

それとも、「ごめんなさい」 のところ?

あるいは、「お父さんに怒られる」 のところ?



わたしは、こう考える。

つまり、テレビを見ていた人は、吉田選手の内面に触れたのだ。

オリンピック史上でも本当の例のないほどの勝者の、いわば内面が、ひゅっと見えてしまった。



「あ、今まで見ていたのは、外側だったんだ」



ということに、みんなが気づいた。

「ごめんなさい」という言葉と号泣する姿で、視聴者がピンときたのだ。



「いつも金メダルをとる、すごくレスリングの強い人」としか見ていなかった自分が、はじめて、吉田選手の心の内面に触れた気がしたから、これほど揺さぶられるのだ。そして、反応したくなる。



「いいんだよ!ぜんぜん、謝る必要ないよ!銀メダルだって立派だよ!よくがんばった!」

というふうに。







われわれは、吉田選手の内面、オリンピックに挑戦してきた動機がなんであったのか、急に心配になった。



オリンピックに挑戦するほどのすごい人が、実は内面で抱えていた世界は、いったいどういうものだったのか。どんな心の状態で、オリンピックに挑戦していたのか。

その『内面』が、急に見えてきてしまって、心配になった。



怒られる、という不安。

誰かに責められるかもしれない、という不安。

もし、不安にかられて、という動機で頑張っていたのだとしたら・・・(吉田選手は、そうではないと信じるけど)もし仮に、そういう人がいたとしたら、それは・・・せつないよネ。





元陸上選手の為末さんが、こう書いている。

「結果は運だが、挑戦は意思だ。挑戦をするという意思を持って厳しいトレーニングをし、その場に立った。結果の前にそのことをまず尊敬し、そこから姿勢を学ぼうとする社会であってほしいと私は思う。」



結果の前のものを、尊敬する。

結果の前のもの、とはいったい、何か。



吉田選手の言葉、「お父さんに怒られる」をきくと、吉田選手だけでなく、なにか日本人全体を追い込んでいる風潮があるのかもしれないな、と思う。日本に住むわれわれは、スポーツの、何に対して価値をおこうとする社会にしていくのか。



日本人の、「がんばる」、という美しい姿がある。

そして、その人の中身、どんな動機かに、もっともっと世間が注目するようになったら・・・。

怒られないように頑張る」とか、「雪辱を晴らすために頑張る」という以外の、本当の動機があるのであって・・・。



ひとの行動の『動機』が変われば、社会の雰囲気も、変わっていく。



ひとの行動の前にあるもの、結果の前のもの、形に現れる以前の物。



それを、『ビフォーシェイピング』と言う。

ここに注目する社会をつくるために・・・。



とんぼの道