[]コミュニティ研究の場としての学級

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おそらく私の本当の興味は、実は、

「人間研究」

であるのではないか、と最近、思い始めた。



それも、コミュニティと人間個人の関係を。

いつのころからか、ずっと心のどこかで、研究しつづけている。

10代から・・・。

こんなブログを書いているのも、そういうわけのことで・・・

(ブログに書きつつ、自分で研究を進めているつもりになっているだけのことだけどネ!!)







さて、子どもに限らず、大人もそうですが、コミュニティに属している、という気分が人間をどう開放するか。

これが、現代の大きなテーマでして・・・



なぜかというと、コミュニティに属さない方が自由で自分を開放できる、という気分のひとが、今の世の中はけっこう多いようだから。

できるだけ人間関係の煩雑な部分からのがれたい、とだれしも願っているのだろう。

つまり、だれとも会話しなくても結構、おひとり様で十分楽しい、というのが、今の世の習いなのでありましょう。(それはまた真実で、一人でも楽しいのが本当でしょう)





ところが、小学校のクラス、という30〜40人規模のコミュニティ、それも、ふだんの行動がほぼ同じであり、体験を共有できるシステム上にある人間のコミュニティに限っていえば、



コミュニティに属していることが、いかに自分を豊かにするか



を実感できるのが当然で、それがどうも人間の生きるエネルギーにさえなっていると思われる。





なぜか。



おそらく、好きになるからであろう。



大人は、ほとんど、嘘くさい、と思う。



しかし、子どもは、なんの躊躇もなく、



「クラス中みんな好き」



と言うのである。



好きにもいろいろあろうが・・・と大人はまたしても、思う。



ともかく、子どもは、



「嫌いな子、いない」



のであります。





このことが、とうてい信じられない、というところに、大人の病理が潜んでいるのはまちがいないでしょうナ。





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