[]南の島のハメハメハ大王

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朝、歌を歌う。



歌集のなかの歌はあらかた歌ってきたし、朝の音楽集会も一区切りついたので、



「じゃあ、夏休みまでの1週間は、歌のレパートリーを増やそう」

ということになった。

いろいろと知っている歌と、知らない歌とを分けていると、



なんと



南の島のハメハメハ大王



を知らない子がいる!!







こんなもの、君が代よりも有名だと信じていたから、

ガンと頭を殴られたショックがあった。



自分が低学年を担当したら必ず夏には歌うし、

バナナの唄も歌う。

きくと、低学年の頃はずっと若い先生が担任していたらしい。

あとで、その先生にきくと、



「ああ、ハメハメハ・・・その歌は歌っていませんね」



と軽〜くいなされた。



「そんなに大事な歌なんですか?」



という感じ。



このノリにも、一種のショックを受ける。



なんということであろう。

夏には必ず、声の限りをふりしぼって、夏休みの明るい雰囲気を感じながら、

市民プールの行き帰りにも、子ども会の集会でも、昭和の子どもはこぞってうたったではないか!!









まあ、いい。



こんなところで憤っても、仕方がない。









それで、ハメハメハ大王を教えるために、わたしが久しぶりに歌ったところ、まじめに歌詞を聞いていた委員長の子が、



「こんなに学校休んでいいんですか」



と。







たしかに。






風が吹いたので遅刻し、雨が降ったら休むなんて、もってのほか、である。

こんなゆとり教育を助長するような歌詞の唄が、現在の混迷を極める社会の中で、ゆるされるはずがない。





すすめ!火の玉!!

勝ちすすめ!就職戦線!!






ぜったいに許されない歌を、教室で歌ってしまったことに気付いて、わたしは激しく狼狽した。

おそらく、このことは、『君が代』を歌わないよりも、罪深いのかもしれないナ・・・。







しかし先日、ある番組で見たアマゾン流域に住むブラジル人の子は、完全に学校へ行っていなかった。



学校へ行かないでも許される社会があり、



一方で、許されない社会がある。







われわれ日本人にとっては、子どもが煙草を吸うことは許されない社会がふつうだと思うが、



アマゾン川流域には、子どもが葉タバコを吸うのが、けっこう当たり前の社会、もある。











これらが、問題になるのは、なぜだろうか。



なぜ、



アマゾンでは問題にならないことが、

日本では、問題になるのだろうか。



日本では、「規制」しないと、不安だから。


これだと思うネ。





〇〇しないと、不安。





↑ 出ました!!





最近、これ、ばっかり。



やっぱり、なんで人は、「〇〇しないと不安」なのか、

ぜったいに考えておく必要があるよナ。









おまけ。

その番組に出てきたアマゾンの子の表情は、いい顔でしたよ〜!!





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