[]犬は、消耗品ではない件

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ギターは、鳴らすうちに、よい音が出てくるようでありますね。

音楽の先生に聞くと、バイオリンなども同じだそうだ。



うちの音楽の先生はいろいろと教えてくれるが、多くの楽器はそういう性質があるらしく、大事に使うほどに、よい音を出してくれるようになるらしい。



そういえば、バイオリンの名だたる名器とよばれるものは、例外なく古いものですね。



現存する世界最古のヴァイオリンは、1565年頃にアンドレア・アマティが製作したものだと言われております。スプルース(松材)やメイプル(楓材)で作られているヴァイオリンが400年の歳月を経ても数多く存在しているのですから、いやはや。



つまり、楽器は、消耗品ではない、と。







子どもも、消耗品ではない。当たり前ですが。

このことは、先日の、

「すべての子どもがかわいいはずがない」

というメールの一文と、ちょっと関係が出てくるかもしれません。







実は、このブログを見たある人からコメントをもらいました。

その人は、

「子どもはそもそもかわいいけどね。

かわいがられると、

こどもはもっともっとかわいくなる」
と書いてくれていた。





これは、美しい逆説だと思いましたね。



もし、子どもが消耗品であったなら、どうか。

かわいい、と可愛がっていると、ぬいぐるみと同じで古くなり、汚くなってくるはずだ。魅力がなくなり、捨てよう、となるでしょう。



ちがう、というのです。その方は。

「かわいがられると、こどもはもっともっとかわいくなる」

ですって。



どういうことなんでしょうか。



しかしこれは、通常の感覚と、順序が逆ですネ。

ふつうは、対象がかわいいから、「かわいいわねえ」と可愛がろうとするのでしょう。

ぶさいくでいけ好かない奴は、最初から拒否するのがふつうで。

アイドルだって、かわいいからファンになるのですな。



キャンディーズ




最初はそうでなくても、つきあっているうちに、かわいがっているうちに、ホントに可愛くなってくる。という、この、消耗品では絶対にありえない感覚。

どういうことなんでしょうか?





もうひとり、コメントをくださった方がいる。

その方は、

「教師の経験はないけど、どんな犬もかわいいと常々思っています。爆」


だって。





わたしは、幼き頃、小さな犬をほんの数か月だけ、飼ったことがある。

学校の長い通学路の途中で寝そべっていた犬がついてきたので、近所のSくんとともにSくんちのガレージで飼うことにしたのだ。

もらい手がくるまで、という条件付きでありましたが、我々はせっせと手厚く、その犬を世話した。

すべての休日は、その犬を連れて旅に出た。リュックと水筒をもって、餌をもって。楽しかったネ。



その犬は、みすぼらしい犬で、体の模様はまるでとんちんかんな、あまりかしこくない雑種でありました。

飼い始めた当初から、こいつはバカだ、ということがよく分かったし、皮膚病にもかかっていたのですが、それでもわれわれの犬でしたから、われわれはもう、うれしくてネ。最高に可愛がったのですな。

Sくんの弟が、あまりにも可愛がって、いっしょに寝ようと家の中に連れ込んで、ふとんの上にあげたもので、お母さんからだいぶ、叱られたそうです。

次の日の朝、Sくん兄弟が泣きながら犬をホースで洗っていたので、わたしが仰天して駆けつけると、その話をしてくれた。



わたしたちは、見た目がみすぼらしく腹にあばらが出て、体の模様がまるでとんちんかんで、あまり賢くない雑種を、3軒となりの吉村さんところのシェパードとは比べなかったですね。近所にはコリーも、マルチーズも、チワワもいたが、我々はたしかに、



「可愛いからかわいがったのではなかった」



のですな。



「みすぼらしいけど、かわいがっているうちに、可愛くなった」



というお話なのだと思います。





つまり、犬も、消耗品じゃない、ということですね。