[]「叱る」をやめたら、クラスは荒れる

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わたしが、このブログが危険だと思っているのは、こういう人が出るのではないか、と恐れるからだ。



「ははあ、叱らないでもいいんだな。じゃ、叱るのをやめようっと」



すると、見事に、クラスは荒れる。



とくに、このページを見に来てくださる方で、新卒に近いような若い先生がどうもいるようで、そういう先生にはとても申し訳ない。誤解をさせてしまっているかも?









肝心なのは、叱ることがないように、する、という一点にかけることです。



無策でのぞんで、そのまま両手ぶらーり(あしたのジョー)でいれば、カルロスやホセ・メンドーサにボコボコにされるのは目に見えています。



わたしは、



「明日の予定、一週間後までの予定、一か月後くらい先の予定」



を、子どもにかなり丁寧に伝えます。

ただし、一度きり。



これの良い点は、子どもが教師の考えていることを、かなりの程度、理解する、という点です。

すると、子どもも頭が良いので、わたしに叱られるようなことをしません。

来週から組体操の練習が始まるのであれば、長い髪を切って、ショートにしてくる子もいます。

子どもだって、いろいろと考えるのです。その考えるきっかけは、きちんと伝えるのです。



クラスの子どもたちが、学校中の他の先生から叱られるようなことが無いように、ちょっと気を回しておきます。



たとえば、音楽専科の先生が気にするようなことは前もって子どもたちにも、



「そうそう、音楽だけど、そろそろグループごとのアンサンブルだってね。リコーダーの練習する時間がとれたらいいね。いつできるかなあ。(給食前は?)あーなるほど、いいね。給食前でも練習してもいいかもね」



なーんていう具合に、ちょっとヒントを教えてあげます。

これだけで、男子の何人かは救われる。

音楽の先生の前で、「苦手だけど、先週からずっと練習はしていました」と言えます。



音楽の授業から教室に帰ってきて、リコーダーの苦手な男子から



「新間先生、ありがとう」



と言われたこともあります。



「練習しておいて、よかったわ〜」







子どもだって、うまくやろう、と思っているのです。



もし、叱らないでもいい教育をしようと思っていたら、子どもたちにウンと協力することです。











あと、いちばん大きいのは、子どもがずっと好きでいることですね。



これは難しい、と思われているようですが、万引きした子でも、かわいくて仕方がない、というのが教師です。



クラス中に迷惑をかけている子さえも、かわいくてならない。



別に修行だとかいうのでもなく、わたしが特別というのでもない。



憎しみさえ、愛の作用なのですから。



それを十分に理解していれば、もはや何も、憎まないでいられるのです。







あとは、案山子、ですね。



これを毎晩聞く。



さだまさしさん! ありがとう!!