[]ただの会話

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新年度でありますが、「叱らないでもいいですか」が、まったくぶれてこない。

これ、自分でも不思議。



自分が担当するクラスが、たまたまいい子たちばかりなのか?

と、思う時がある。



子どもはどの子も、担任の先生を好きでいたい、と思っているのではないだろうか。





考えてみれば、人間はみな、人を好きでいたい、そうありたい、と願っている存在なのではないだろうか。









家庭訪問で、おうちの人に会う。



話をする。



いい人ばかりだな、と思う。







毎日のように、子どもに声をかけていると、だんだんと机の周りに集まってくる。



興味があるのだろう。



子どもは、面白い、とつくづく、思う。



そして、子どもたちは、「先生は面白いなあ」と思っているらしい。



要するに、人というのは、面白い存在である。







わたしは、給食を食べるときの子どもの顔が好きだ。

いちばん、自分の顔をしているように思う。

かっこうをつけている子は、いない。

みんな、自分らしくふるまっていて、自然でいる。







子どもが、わたしの顔を、じーっと見ているのは、何を思って見ているのだろう。



「先生の箸箱、青い」



「うん。青い」



「それ、カーマに売ってたの」



「うーん、ピアゴだったかなあ」



「ふうん」




それだけの会話をしながら、なんとなく休み時間を過ごす子がいる。



授業中にはさほど元気よく発言をしない子のほうが、むしろそうやって話しかけてくる気がする。



わたしとその子の距離は、これで少し、縮まる。









子どもがなにをするでもない、ごくふつうの、ただの休み時間が、



教師としての一番大事な仕事の時間だと思うようになった。



ハイブリッドのたんぽぽ