[]卒業アルバム

卒業式のあと、もう死にもの狂いで事務を片付ける日々が続く。



おそらく、教員の血圧がもっとも上がるのが、この時期だ。



児童に関わるありとあらゆる記録を正確に残すために、獅子奮迅の働きをする。

誤字がないかどうか、4人がかりで、目を皿のようにしながらしらみつぶしにチェックすると、目がどんどんと充血するのが分かる。



たまにいくトイレだけが休息だ。

トイレに行くと、そこに出会わせた先生が、みんな一言もしゃべらず、深いため息だけをついている。

お互いに、目の下のクマを見せ合いながら、



「もうひと踏ん張りだ、なあ・・・」



と言い合っている。





そのさなかに、異動される先生が一人ずつ、片付けを終えて去っていかれる。

挨拶をしながら、なんだかその先生たちと、もう少し、あと一言、と会話したくなる。

忙しいけど、話しかけに行く。



なんだかんだで、夜になると、グッタリ、である。









さて、気になるのは、卒業アルバムだ。

勤務校でもすばらしいアルバムを作成したが、保護者からの問い合わせには本当に気を遣った。

要するに、このアルバムというやつ、プライバシーのかたまりなのである。



分かりやすい例でいえば、この中から有名人が出てくると、世間の注目はこのアルバムに集まる、ということ。



イチローや松井などの有名選手。

彼らの卒業文集は、すでに公開されてしまっている。

小学校6年生の時の作文は、そのまま画像で広まり、ネット上でいくらでも検索できてしまう。



字がきれいかどうかまで、世の中の興味の対象にされたら・・・、いやあ、本当にたまったもんではないですよね。



報道と称して、有名人の文集、アルバムをマスコミが買いあさる構図が出来上がって久しいが、これらは本来売り物ではなく記念品。

ある人の子ども時代の様子を、他人が確かめるために配布しているのではない。

今や、ありとあらゆる情報が、ネット上に消せない情報として流れる以上、うかうかとは扱えない代物なのである。





おそらく、「卒業アルバム」というものは今後、鉄の鎖でぐるぐる巻きにされた上で・・・、大きな南京錠をつけて渡されるようになるのではないだろうか。



そんな想像をしていると、なんだかさみしくなってくる。









世の中は、ますますギスギスしてくるみたいだけど・・・。



これを打開するのは、そんなことに踊らされない人になりあうことで、それ以外にない。



そして、そんな人になるのも、実は存外、簡単なことのようである。



クロッカス2G