[]先生の言う通りは、つまんないな、と感じる心

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学習発表会で、教師が一番たのしいのは、



「え、この子たち、こんなこと考えたのか!」



ということ。



高学年になるほど、自分の意見のオリジナリティーを出そうとします。

そこが、面白い。



「先生、ここまで考えたんだから、ぜひやらせて!」



これこそが、いちばんの醍醐味でしょう。

そういう企画がでてくると、教師は腹をかかえて笑うことができます。





先日の学習発表会で、あれこれと準備を進めているときに、

数人がアドバイスをもらいにきたので、わたしも思いついたことや気を付けたらよいことを話していました。

ふむふむ、と聞いていて、その都度、



「あ、それいいな」

「なるほど」




などと言い合って、アイデアが決まりかけたのですが、その中のひとりが、



「うーん、でも、先生の言う通りだけだとつまんないな。もうちょっと考えよう」



と言って、結局また仲間であれこれ相談を続けていました。







この、



「もうちょっと考えよう」



というのは、何だろうか、と思います。



この意欲は、何だろうか。



別に、変えなくても構わないわけです。

面倒くさいのであれば、そのまま、スッとシナリオ通りに進めてしまえばよいわけです。



ところが、



「うーん、もうちょっと、変えてみたいな」



と、出てくる。



大人なら、もう面倒くさいし、考えてまた失敗するのも厭だし、練習する時間ももったいないから、そのままやってしまって、終わらせよう、という考えになるかもしれません。



なんでしょう。本当に。



「うーん、もうちょっと」って、何だろうか?













結局、最初の案と、それほど変わらないことをして、本番前にずいぶん無駄になった寸劇練習もあったのですが、子どもたちはサラリ、としたもの。

時間を損した、とは言いません。

労力をかけた分を損した、とも思っていないようです。



子どもたちが、価値を置いていることって、何だろうか、といつも思いますネ・・・。







そして、もう一つ。



惜しいな、と思うこと。



この本番前のあれこれを、保護者の方たちがみんな知らないでいる、ということです。



これが、いかにも惜しいと思えてなりません。



一番面白いのは、本番前の、あれこれ、なんじゃないか。


本番の発表は、最後のおまけみたいなもの。

子どもたちも、すでに十分やりきっているので、本番はさっぱりしていますヨ。







保護者の方にお願いしたいのは、ぜひ、本番前になにがあったのか、を聞いてみてください、ということ。

いろんな経緯や人間模様、数々の、意見のぶつかり合いがあった。

それが、分かると思います。



ただ、ざんねんなのは、子どもたちからすると、すでにそんな過去の話は、うんこと同じですっきり忘れて流しています。

だから、後になって、そこらへんをあらためて親に聞かれても、



「なんでそんなこと聞くんだろう?」



と感じてしまう、ということです。





今朝の連絡帳に、



「学習発表会の準備のことをあれこれと私が聞くのですが、いろいろー、楽しかったー、としか教えてくれません」



と、お母さんがちょっと面白く、書いてくれていました。



まあ、そんなものですかネ〜



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