[]町の幸福論―コミュニティデザインを考える 山崎亮

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国語の教科書に、「町の幸福論」という題材がある。

(6年生 東京書籍 平成27年度発行)



教科書に「幸福」なんていう言葉が、堂々と掲載されていることに、少し驚く。

今どき「幸福」などという言葉を、大人が使うだろうか?



身近な人に聞いてみると、



「宗教クサイ」



という反応が返ってきた。

もしかすると、この「幸福」という単語自体に、多くの大人は純粋でないものを嗅ぎとるのかもしれない。



しかし、これが大人でなく、未来を生きる子どもたちに聞いてみると、ごく普通に受け取る。

それはそうで、「幸福」という言葉に勝手にさまざまなイメージを塗りつけたり、ペイントしたり、飾り付けようとするのは大人だけで、子どもはそもそも、そんなふうには受け取らない。



大人は、すっかり疲れてしまっていて、あるいはこれまでの自分の人生で何度もこの言葉に裏切られたか、もしくは、この言葉の幻想的な雰囲気やお花畑的なものに、打ちのめされてきているのでしょう。

だから、この言葉がキライになっている大人が多いのだと思う。



傷ついた大人は、現実論を言いたがり、理想に燃える若者や子どもたちに「甘い」と言いたくなる。

これは古来から続く、人類の癖のようなもの。エジプトで見つかったパピルスにさえ、「今の若者はなっとらん」ということが書かれていたのは有名な話で、「現実は甘くない、人間社会は夢や理想では生きられんよ」と諭すのは老人の役目と決まっている。





さて、この本の著者は、すこぶる前向きである。



なぜなら、著者のよって立つ思想の根拠が、足元の事実だからである。

人間が、地域やコミュニティで、日常的にふだんから馴染んでいる行いのほとんどが、明るく前向きであるからだろう。そうした人々のふだんの、ごく普通の立居振舞や思想から、聞こえてくるのは前向きな歌であり、素のままの、嘘やいつわりのない気持ちであるからだろう。



愛する子どもを見ていると、この世の中がうまくいかないはずがない、という確信のようなものがある、と言う。

母親が強いのは、生きている子どもを愛していることに、天地神明にかけ、嘘がないからであろう。

宇宙は美しく、自然界は慈愛に満ちていて、人も本来、やさしさで生きる動物なのだろうと思う。



小学校6年生に、このような思考をことさらに促さなくても、彼らは本来のセンスで知っているようだ。



教科書にもどろう。

ここで著者のいうデザインとは、「社会の問題を解決するために振りかざす美的な力」のこと。

日本が抱えているコミュニティや人間の課題は、今後、世界中で顕著になる課題である。その課題をひとつひとつ、順に解決できるのであれば、これは世界に先んじたことになる。そこで培われたノウハウは、まさに10年後、20年後に世界中から求められるようになる。



こうした著者の説明文について、子どもはいかにもシンプルに反応する。

当然のように、理解する。

人と人とが支え合っているという事実については、素直に、「そうだね」と思うのだろう。

子どもが、今の世の中のおかしさや矛盾、人間の抱える無知や誤解について感じ取ることもある。先日の記事にあるように、つい先ごろの参議院での強行採決についても、おかしい、と憤るより、

「なにか、間違ってんだな」(頭の使い方が)
というような理解をしているように思う。

たとえ今の時代は愚かな部分があったとしても、自分たちは賢くやるぞ、という意識があるのだろうか。



著者が期待する、新しい発見や新しい考えというのは、地域の人々の「話し合いのまな板」から生まれてくる。

新説は、いつの時代も思いもかけない方法で表れる。

それらを否定していては、人類の進歩はなかったはず。

子どもは常に、

「新発見」や、「新説」に興味を示す。

自分たちの生きる時代に、それらが直結していくことを、身をもって感じ取っているからだろう。



授業のことについて言えば、今回の単元では、本単元を貫く言語活動として、「書く活動」を取り入れる。著者の意見やアイデアに響いた自分なりに選んだ言葉、内容と、自分自身が「町」について願っていること、そして自分にできることはなにか、という問い。

自分の意見文を書く前に、クラスで討論をしてもいいな、と考えている。

クラスの仲間の意見で参考になるもの、友達と似ているもの、似ていないもの、整理していくのが面白い。

また、反対意見というのではなしに、著者のいうように仲間の意見に「のっかっていく」姿勢、否定なしで聴く態度、これを実現していく学習にしたい。



そのためには、著者の言う、「話し合いのマナー、話し合いに必要な態度」であるところの、



否定はない。



Yes, and ・・・



とつなげていく文化。




↑ が、必要になってくるのだろう。



討論(?)ではなく、加論、とでもいうのか、この単元、これからの展開が楽しみだ。



目的は子ども4