[]水戸黄門で哲学するクラス

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小学生も、勧善懲悪は薄っぺらだ、と思うみたい。



水戸黄門を見て、「やった、悪が懲らしめられた。よかった」



では終わらない子どもを育てる。



そもそも、その善とは?悪とは?なんの定義で?だれがそう判断しているの?と、



深く追究できる子に育てよう、というのが、PISA型(追究型)テストにも対応できる子だ。





越後屋、伊勢屋、大黒屋が悪いということになっているけれど、

では、その越後屋さんが本当により良く生きていけるようにするには?





学級全体が、SくんやTくんが良く生きていけるためのものに進化することで、

じゃあ、みんなはどう考えればいいのか?

学級の仕組みで変えられるもの、みんなの認識で変えていけるもの。





「あっ!野菜残してる!悪いやつだ!」



と指さして平気で言っちゃうクラスは、だれもが幸福に暮らせるクラスではない、という確信がある。



大体こういうことを大声で指摘して騒ぐ子自身が、淋しくて苦しんでいる場合だってあるのだし・・・。







野菜を残すってことは、きっとなにかあるんではないだろうか・・・、と。



少なくとも、ナスを残したから「懲らしめよう!」という発想にはならないと思う。



分かりますかねスズメ蛾1