[]嫉妬はよくない?

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嫉妬、というものについて、とことん突き詰めて考えてみよう、ということ。



考えるといっても、1週間や2週間かけて、という程度ではない、数年かけても、とことん追求してみる、という覚悟。



どこかの他人の嫉妬ではなく、自分自身の。



まぎれもなく、自分の心のうちの出来事を。









嫉妬はよくないものだ、という子、多い。



反省口調が手馴れれてしまっている、どちらかというと「いい子」たちに多い。



道徳でも、最初から反省口調。



そこから残念なことに、深まりがない、というか、進まない。



こう言えばOKだよね、先生、これでいいんでしょ、



先生、反省してほしいんでしょ?




という雰囲気がする。









嫉妬がよくない、というところから脱するの、大変なことだ。



嫉妬をそのまま、しっかりと見つめる、というふうにまで、なかなか、ならない。



心の動き、微妙な理屈、屁理屈、自分を納得させようとする言葉の数々・・・。



それらを捨てて、なぜか、なぜ嫉妬するのか、なぜこれだけの心の動揺が、自分を襲ってくるのか、なぜか、と追究していこうとする、ということ。





嫉妬が、プラスだ、マイナスだ、とか、・・・そんな程度でどうこう言っているところから、脱することができると、ようやく知的に考え始めた、頭が動き始めた、という感じがする。



本当のところ、実際のところ、自分の心を追究しはじめる、というわくわくした思い、楽しみ、知的探究心、好奇心によって・・・。



なぜ、嫉妬する?



自分は、なぜ、嫉妬しているの?



嫉妬の内訳、中身、実態、実質、本質、原理、中で動いているもの、中身に働きかけるもの、とは。







でも、ほとんどの頭の固い高学年となると、

はい!先生!!



嫉妬は良くないです!!


と言って、それで思考停止。









それじゃ、なにも明らかにならない。



で、どうするか。



ヤマナラシの木