[]責められない、ということ

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このブログは、新間が日々の雑感を書き連ねているのだが、以前はもっと、ずっと品がよかった。

ところが、なんだか最近は、言い方がストレートになってきて、かなり毒も混じりはじめている・・・。



(岡崎の教師をしながら、考えることはますます先が尖ってきてしまっているようだ。普通はもっと、歳を取れば、丸くなって行きそうなものだがな〜・・・)





さて。

責められない、ということが幼い頃から、しっかりと心の奥に根付いていたら、



かなり大胆な人に育つだろう、と思う。



そして、人が人を責める、ということのはかなさと、意味の無さと、薄っぺらさに気付くのも早いから、自分が人を責めることもしないだろう。



だけど、これはかなり、むずかしいことだ。



しっかりと、





「人に責められたら、恐怖を感じろ!」





と学習していくからね。

幼稚園、保育園、小学校・・・。



縄文時代11






責められたことがない、という子。



いちばん強いと思うね。



こういう子を特別に育てておいて、国連とかで国と国の話し合いに参加させると、面白いだろうと思うなあ。



だって、責められても、恐怖を感じないもの。



国際的な取引の場面でも、ばっちりだよ。

相手が誰だろうが、引かないし、言うことを最後まで言えると思うよ。



縄文時代12