[]はらがたって、はらがたって、お菓子ぜんぶ食べた

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最近、また「腹が立つ」ということについて考えるきっかけがあり、

「腹が立つ」、で思い出した事例。



わたしは当時、学級で、

「腹が立ったら、教えてね」

と話をしていたので、

日記に、こんなようなことを書いてきてくれた。



授業参観でお母さんが来てくれると言っていたけど、たぶん来なかったと思います。

授業中もずっと後ろをみて探したけど、一度もいなかったと思います。

お母さんは、

「ほかのお母さんたちが大勢いたから入れなくて、廊下から見てた」

と言ってたけど、廊下もちゃんと見たけど、いなかったと思います。

だから、きっと、弟の幼稚園の参観に行っただけだったと思います。

間に合うと言っていたけど、間に合わなかったんだと思います。

「嘘を言わないで、謝ったらいいのに」と言ったら、

だまって買い物に行ったから、わたしもだまって弟の分のお菓子も全部、

一人で食べちゃいました。(先生、ないしょです)

すごくはらがたったので、書きました。




腹が立った時の自分はダイレクトであり、素直な自分である。







Eテレの「ようこそ先輩!課外授業」で、モデルの冨永愛さんが出ていた。



番組内容は、「怒り」をテーマに冨永愛が多感な中学生に挑んだ、というもの。

中学生に向けて、冨永さん自身が子どもの頃からコンプレックスを抱き、怒り、悔しさ、を見つめて生きてきたことを語る。冨永さんにとって、怒りは自分を変える、バネになった。



番組の中で、怒りについて、

「怒る、ということは、贅沢なことなのでは」

と答えた男子がいた。



中学生で、そうしたことを考えることがすごい、と思ったが、はたして冨永さんはそれに答えて、



「でも自分の素直な気持ちだよ」と。



素直というのは、生きにくい。

怒りはムダ、と思いやすい。

だから、エネルギーを消費しないために、怒りを捨てる。

そうした気分を、中学生のその男の子は、言いたかったんだろうと思う。

「素直」は、わがまま、高望み、口先だけ、というイメージもあるんだろう。



『それを怒りにするだけ、損なことでは?』



中学生でも、そのくらいの考えに及ぶわけだ。





わたしは、中学生が、「怒り」を考えていこうとする姿勢に感心する。

人生の初期段階で、「怒り」は「ムダ」なのか、と考えていこうとしている。

冨永愛さんが、それを、引き出していく。

すごい人だなあと思う。



「怒っている」



それが素直なんだ、自分の実態なんだ、と



かけがえのない自分自身のこと、その自分自身の状態を大切に考えよう、と言ってくれる。





世の中から、「素直」が消えようとしている。

中学生ですら、「怒り」を消そう、ムダと考えて、賢く生きよう、となってしまう。

その場合の賢さは、自分の中の「素直」を消して生きる、という生き方であり、

世間に調子を合わせる、という生き方。





「素直」は、「怒り」から見つけやすい。





お母さんが嘘をついてる!と弾劾したいその子は、

お菓子を弟の分まですべて食べてもなお、

「日記」に怒りをぶちまけている。





怒りの感情をもってして、どうにもならないこの口惜しさを、

無念さ、報われなさ、切ない思いを、その「淋しみ」を、

お母さんにぶつけたけれど、



お母さんは、・・・買い物に出かけてしまった。



小川の近くに咲く花