[]奇異な目で見る、ということの暴力性

.

ある人を、奇異な目でみる、ということ。



このことの異常さに、当の本人は、まったく気づかない。



自分自身が、「奇異だとみる視点」をもつことの、異常さに、気づけない。



それで、「あの人、変だよね」、と、言ってしまう。



「あの人、よくわからない」と、言ってしまう。



「なんなの、あの人」



だって。



自分の基準こそが、世界標準だと思っている。



わたしの思う「世界標準」が、真の「世界標準」だと思っている。



わたしは正義、と。







Fさんのブログに、四つん這いで走るランナーのことが紹介されていた。



四つん這い?



走る?



その時点で、目がテン。





Fさんのブログによると・・・



四足走行でギネス世界記録を持つ「いとうけんいち」さん(32)。

動物園で見たサルのマネをして、四つん這いで走る練習をしていた。



「日本だとみんな逃げていくところだが、米国人は『お前何やってるんだ』と聞いてくる。『サルのまねだ』というと大笑いして肩をたたいてくれた」。



この幼子のような純真な感動とそれへの受容環境が、後の彼の道を決定づけたようだ。




・・・と、書いていらっしゃる。







大笑いして、肩をたたいてくれた。







このことは、いとうさんにとっては、かけがえのない体験となる。







教室では、どうか。



「あなたはヘンです」




というメッセージを、子どもたちに、植え付けようとしていないか。



ヘンだからやめろ、

ヘンじゃないから良い、



ということで、子どもを操作しようとしていないかどうか。







わたしは最近、土日のたびに虫の写真をとって、月曜日に子どもに見せる。



とくに、イモムシ関係の写真になると、子どもたちはさまざまに反応する。



「ギャー」



「先生、見せないで!」



「気持ち悪い!」










わたしは満悦しきって、ある子をさがす。



気持ち悪い、というのでなく、目が輝いてみている子。



以前、校庭の中の木のうちで、枝と葉から、サロンパスのにおいがする木を教えてくれた、Fくんだ。



その子と視線を合わせて、





「どう?きれいでしょう」







すると、Fくん、なんと返答したらいいのか分からないから、戸惑っている。



そのやり取りを聞いたほかの女子は、



「えー!きれいだとか言ってる!先生、おかしい!」








わたしはますます満悦して、



「きれいだよね。ほら、このラインが。オレンジ色もいいし。きれい〜」






すると、Fくんは、



「うん。オレンジがいい」




とか、言ってくれる。



わたしは、無言でそのまま握手する。



彼はとびきりの笑顔になる。



それを見て、女子はますます、おもしろがって悲鳴をあげる。



「きみは、イモムシの美しさがわかったんだね。教師冥利に尽きるよ」



わたしは窓の外に視線を一度とばしてから、もったいぶって彼を見つめ、芝居がかった声で、



「イモムシの美を理解した君も、本当に美しい心を持っている」



とつぶやくと、もう教室は悲鳴と怒声が入り混じって、大変になる。







ところがね。







おもしろいのは・・・・













あとで、休み時間になって、









イモムシの昆虫図鑑を、







だまーって、







見ている女子が、










ほんの数人ですが、











出てくるんですよ!!



(これが不思議だねえ。子どもって)





写真は、いとうけんいちさんの四つん這い走法。↓↓

いとうけんいち