[]ズッコケ三人組が行く!昆虫クラブの真価とは

昆虫クラブのことを、記事にした。



価値を云々したがらない、ちょい控えめなクラブ活動を、モットーとするクラブだ。



いったい何が、そのクラブの真価なのか、なんだかわかったような分からないような感じがずっとしていたが、おそらくその真価は、現場の雰囲気なのだろう、と思う。



鍛えて力をつけさせます!!



という、スポーツど根性丸出しの体育会系とはまるで異なる世界観であり、だからこそ世間からは



理解不能



という烙印を押されがちな昆虫クラブだが、そこに通ってくる小学生や中学生、そして高校生の表情を見ると、いかにも幸福である。



楽しそうか・・・というと、ちょっと違う。

楽しそう、というのと、幸福である、というのは、どうやらほんの少し、乖離しているものであるようだ。



とびきり弾けて明るい笑い声が、始終響いている雰囲気は、ここには無い。

地味に、歩いているだけ、とも思える光景だから、おそらく、このクラブの本当の価値には、気づかない人々が多いのだろう。



結局、このクラブに来たからとて、なにかが得意になるわけでもなく、得られるものは無い。



(このように言いきってはいけないが、つまるところ、ピアノのおけいこや公文式、はたまたダンス教室、野球、サッカーをはじめとするスポーツクラブとは、まるで目指している方向が違うので、これまでの常識観でいくと、どうもあまり、得られるものは無い、と言いたくなるのだ)



見た目は、なんとなく、地味に歩いているだけ、というだけのこと。



初めてこの会に参加した子は、きっと、驚くにちがいない。



「いったい、なにが楽しいの。ちっとも楽しくない。ただ歩いているだけ。虫だっていやしない。こんなところ、もう二度とくるもんか」





ところが、である。





終わってみると、なぜだか、このクラブが懐かしいような、愛しいような、妙な親近感が胸をゆさぶるのである。

訛りの懐かしい、あの<ふるさと>のような<印象と感覚>が、その夜、わたくしが寝床に横たわるまで、続くのである。



おそらく、そこに、ズッコケ三人組の影が見えるからにちがいない。







私が参加したとき、目の前に、少しボーッとした表情の、中学生男子が3名、立っていた。



この子たちは、小学生時代からずっとこの会に参加していて、欠かさず、というわけにはいかないが、可能な限り参加して、縁を切らさないのである。



一人は、目玉がくりっとして、いかにも頭の回転がよさそうな、善良そうな少年である。身長は低いがスポーツ万能、但し勉強はからっきし苦手。物事をよく考える前に行動する直情径行タイプで行動力に溢れる・・・というタイプ。



二人目は、眼鏡をかけていて、ヤセ型。読書好きで研究熱心、理科の実験を趣味とし、明晰な頭脳の持ち主で機械にも強いが、小心者であがり性な部分があり、学校のテスト等、ここ一番で実力が発揮できておらず、故に学校の成績は今一つ・・・というタイプ。



三人目は、大柄でゆっくりと歩くが、昆虫を見つけた時にはふだんとは及びもつかないかなりのスピードでたもを振り回す。陽気な性格で、鼻歌を歌いながら道端のたんぽぽにも目をやる余裕も見せる。かと思えば、目の前のことに夢中になるので、首から下げた水筒を落っことしても気に留めない。・・・というタイプ。



(いずれも偏見にみちた私の勝手な推測である)





さて、この3人が、なんともいい味を出すのである。



わたしの息子が、新しいタモをうまく折りたためずに苦労していると、



「あ、それはですね」



ハカセが丁寧に指導してくれると思えば、



活力溢れるハチベエは大人のいかないような土手の上の方にも駆け上っていき、



「みなさん!!スジグロがいました!!」



と大声で報告し、大人を興奮させて喜んでいる。



また、モーちゃんは、水が飲みたくなると急に



「みず、みず、みず、・・・」



とうわごとのように繰り返したかと思うと、水筒をラッパ飲みする豪快な面を披露したほか、目の前を飛翔していたクジャクチョウを見るや否や、水筒を放り出して100mほども真剣になって追いかけていき、60代の熟女をして、



「ああいうガッツが、現代っ子のお手本よねえ。ビデオに撮って見せてあげたいわ」



と言わしめ、熟年層の喝さいを浴びていた。





この3人は、いわゆるスポーツ系の部活には所属せず、中学校では、「まあそれなり」に過ごしているようであるが、この昆虫クラブには毎週のように参加し、幸福を満喫しているのである。



さすがに昔から通じ合った仲間のようで、お互いに目の端に、仲間を意識して留め置いている様子。だから、モーちゃんが100mも突っ走っていても、そのあとを、やはりなんとなしに、ハチベエハカセが追いかけているし、ハカセがうちの子にタモの扱いを伝授してくれているときには、やはりなんとなしに、ハチベエやモーちゃんが、その様子を斜め後ろから見ていて、ハカセの先生ぶりを愉快がっているのです。



このときは、物静かな感じのおしとやかそうな、高校生の女の子も一人きりで参加していた。高校生はその子だけで、彼女はこれらズッコケ三人組とも同じにならず、かといって大人どもとも同じにならず、一人きり、微妙な速度で歩いていたが、だからといって、孤立しているのではなく、説明のあるときには一緒になって話を聞き、ズッコケが蝶をつかまえたときには、一緒に写真を撮影したりして、やはりそれなりに、楽しんで参加している様子であった。



また、大人は、小学生から高校生まで、年齢の離れたこうした子ども集団を、統率するようでもなく、無視するようでもなく、目の端に留め置く感じで、そーっと包み込むような雰囲気をもって引率していた。

このような雰囲気が、おそらく、この会の、真骨頂なのだろう。





○やることがはっきりしている

○許容されている範囲もはっきりしている

○目的地もはっきりしている

○ノルマがない

○責められない

○個人の成果というよりも、集団の成果として、喜びと共に分かち合われるものがある




ADHDの子も、自閉症スペクトラムの子も、傷ついた子も、場面緘黙の子も、



世界中の子ども、万人、例外のない人間すべてが、



どんな人でも、どんな子でも、「これなら参加できる」、そういう、すそ野のやわらかさ。





つまりは、貴重な空間が、ここにはある、ということです。





↓ 下は、ハチベエのつかまえた、白いカエル。

ハチベエのつかまえた白いカエル