[]責められない女の子たちの「真骨頂!」



ある子が、指人形を面白いと感じたので、教室の紙やテープやなにやらで、指にはめて動かせるような「指人形」をつくりだした。



おもしろがって、友達の何人かもつくりだした。



帽子をつけたり、顔をかいたりすると、もっと楽しくなったので、全部で50個くらいを箱に入れて保存し、順番に遊んでいた。



そのうち、劇の物語をやりだして、案の定、



「先生、みんなの前で発表したい!!」



と言いだした。







6人の女の子グループは、燃えていましたねえ!!



・・・・・・



しかし、いつもいつも、指人形ばかりじゃつまらない、・・・というのが子ども、です。



もちろん、今日は雪遊びしたい、という日もあるし。

なわとびするから、今日は休み、という日もあるし・・・。



しかしそれでも、ふと思い出したように指人形劇のプランを練ってすごし、たちまちひと月が経ちます。







そして、ついに!!



「先生、明日、発表するね!」



ということを言いに来る。



「お、とうとう、準備できたんだねー」



わたしもずいぶん、楽しみにしていたのだ。







ところが!!





なんということ!!



直前の練習中に、なんと、なんと、・・・大事な人形が壊れてしまった!!







「先生、今日はやっぱ、パス。明日にするね」



「うーん、ざんねん」





そんでもって、実は、



こういうのが、・・・何度か続いたんですわ。







メンバーが風邪で休んだからパス、という日もあった。



そのうちに、忘れていて、



「あ、やらんかった」



という日もあって・・・。









そのうちに暮もおしせまり、とうとう、冬休みになってしまった。





休み明けに、





「先生、そういや、2学期に、やるやる!って言ってたのにね〜」



と、メンバーの子がうれしそうに言いに来た。



「そうだねえ。2学期にやるって言ってたよね」



他の子もそれをきいて、



「ほんとだ!!そういや、2学期にやるって、言ってたね!!あはは〜!!」





みんな、なぜとなく、笑いがはじけております。



・・・・・・。







この会話、これで、いいのであります。



これでいいんだけど、このあと、事件が起きました。





この会話を、なんとなしにうしろで聞いていた男子の一人が、こう言いだしたのです。



「ああ!そういや、2学期にやるっていってたのに、やってないぞ!」



立ち上がって、続けました。



「なんでやんなかったんだ!やるって言って、やってないぞ」



そう言っているうちに、彼の脳裏に何だか思うことがあったようで、



「いけないんだぞ!言ったのに、やってないなんて!なんでやんないんだよ!」



と、ちょっと怒った感じ。





女の子たちのグループは、はとが豆鉄砲をくらったような表情。







わたしが、女の子たちがどうするかな、と見ていますと、





女の子の中の一人は、



○とりあえず、わたしは、落ちた消しゴムを拾おうっと




というような様子で、机の下にひざまづいて、消しゴムをゆっくりとさがしはじめます。





別の一人は、



○そうだ、もうすぐ3時間目だから、トイレ行こうっと




というような様子で、ゆるゆると廊下に向かいます。







また別の、主格の子はどうしたかといいますと、



○あれ、このあと、雪ふるのかな・・・




ボーっとした目つきで、外の雲を見ていました。





(笑っちゃいました)





空気の密度がうすくなってきたことを察知した男の子は、なんだかトーンをさらにあげて、



「いけないぞ!やるっていったじゃんかよー!!」





と、がんばって絶叫しています。





豆鉄砲を食らった女の子たちは、ことがこんなふうになるなんて、思いもよらない様子で、一人去り、二人去り、あるいはまったく関係のないおしゃべりをして、お茶をにごしていました。





こうしたことが、



人生、多すぎるんだろうな



と思います。







つまり、余計なことに、人生の時間をかなり吸い取られているんだろうな、ということです。男の子の「勘違い」を、これから時間をかけてじっくり解いてあげないといけない、ということですね。







結局、男の子の気持ちを、クラス全員で聞くことになり、



「先生、あのさ、2学期にやるって言ってたのにさ〜!!」



「うんうん、そうだよね、やってないよね」



「やってないじゃんかよー」



「うんうん」






こういうことに時間をかけているのが、今の現代に生きる多くの大人の姿なんだろう、と思います。まるきり同じことが、小学校の教室にも展開されている。



無駄な時間なんじゃないかな、と思います。



本当の理想、本当の姿、本来の、子どもたちが体験すべきこと、発揮すべきことのために、時間を使いたいものだ、と思う。





で、最後には、



「じゃ、○○くんは女の子たちの劇を、早く見せてほしかったのね」

「ううん。べつに見たくない」

「そうか」




で終わりました。





もう御承知のことと思われます、が!





この男の子は、大人の姿をコピーしてみた、というだけだったのだ!





別にコピーしたかったわけでもないが、見聞きし、学習したことを自分も真似してやってみた、ということ。



ちょっと気分もむしゃくしゃしていたかもしれない。



そういったとき、大人のように、



○吠えてみる




ことで、気分解消をしてみようと考えた。



しかし、吠えることでは解決せず、気分もすっきりしない、ということを今回学習したのですが、こういう学習は、時間がかかるし、なにかもったいない時間の使い方だな、というように思う。要は、べつにやらんでもいい学習だってこと。だって、こんなんばっかり、繰り返し何度やってもねえ・・・。



もう、ええんちゃうの・・・・。







まあそれでも、女の子たちが、その男の子に責められていたにも関わらず、「責められなかった」のが、わが教室の進歩といえましょう。つまり、



責められても、意味が分からないのでぽかんとする、というのが、正常だということです。



もしも、この子たちが、「誰かが自分を責めた時、自分を守るためにあれこれとエネルギーを使う子」たちだったら、



まだなお、本来の道に戻るのに、時間がかかることでしょうからねえ。