[]教室はミニ国会!

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6年の先生が、口をそろえて言う。



「今年は、社会の授業がホントにやりにくい」





どういうことか・・・。



憲法が変わるかもしれない。

あるいは、現憲法の基本となっているものを批判する意見も、授業で扱わないといけない。

ところが、扱い方次第では、「政治的な中立」が問題視される。

「戦争を避ける」

というセリフも、慎重にならざるを得ない。

授業の中に、「いざとなれば戦える国」という雰囲気を、入れざるを得ない。

これは、現場の教師にとっては結構な問題であります。



大人が混乱しているのだから、小学生もいったい何をどう信じればいいのか、分からないのです。

これは、仕方がありませんでしょう?

だって、この混乱は、小学生のせい、じゃないんだから。





で、結局は、



「これこれを信じなさい」



という授業は、できない。



「自分の中の判断力を鍛え続けるための学習」



にならざるをえない。



自分自身の中で、



「これは間違いない」



と言ってしまう傲慢さを、問い直せる姿。

そういう姿を、学習の目標にせざるをえない。

カルト的になにかを信じてしまう姿勢、

簡単に、これが正しい!としない姿勢、

短絡的に思考停止しない姿勢、

これでいい、と決めつけない、という姿勢を子どもの中に育てるしかない。



これが、第二のオウム信者を生み出さないための、最後の決定的な方法になる。





そのうえで、政治の勉強をする。

国会、内閣、最高裁三権分立・・・。

学習指導要領にそって、現場の教師は淡々と、しなければならないとされる学習を進める。



政治のことになると、熱く語りだす子がいる。

おそらく、家でいろんな議論をしているのだろう。

その熱が、教室にまで持ち込まれている。





EUからのイギリスの離脱のことでも、いっぱしの政治評論のような意見が出る。

まったく知らないで、



EU?なにそれ?」



というレベルの子もいて、それを説明したがる子もいるので、教室はカオスであります。





さて、平和憲法のことで、議論となりますが、これは教師がまったく出る幕がない。

そのくらい、意見が終わらない。

授業時間の終わりをつげるチャイムが鳴っても、まだ意見が言い足りない。



「先生、つぎも社会やろうよ」



という子どもをたしなめて、算数をやることになる。







このくらい、今の6年生の教室は、熱い。



国会議事堂