[]「先生、原発事故は公害なの?」



5年生の社会科で、「公害」について学習している。



ところで、現在子どもたちが使っている教科書ができたのは、2011年よりも以前のこと。

だから、当然放射能の事故など、ちっとも触れられていないわけです。



学習の中心は、「水俣」。



〇「有機水銀」で苦しんできた人々のこと。

〇当初は、「伝染病差別」により、「社会との関わりそのもの」を拒否されてきたこと。

〇「チッソ」という会社は、工場運営に関する法律を順守していたこと。

〇にも関わらず、最終的には最高裁により、「企業としての責任(企業犯罪)」を償え、とされたこと。




水俣市はそれ以後、人々の心がズタズタに寸断された「伝染病差別」の苦しみをのりこえるために、人々のつながりを、もやいなおそうと取り組んでいる。

また、チッソという会社は、自分たちは法律を順守していたんだから悪くない、という主張を通そうとしてきたけれども、やはりそうはいってもこれだけの影響を出してしまったんだ、という反省をし、出来る限りの償いをしようと努力をしてきた(不十分だという指摘はあれど)。



まあ、こうした学習をしてくるわけです。



私は、この水俣の学習にはとても大事なことが含まれているので、



新しい教科書で、



これを全部、放射能汚染公害に



取り替えてしまうべきではない。




と思っている。



たしかに、放射能汚染による甚大な被害は、公害としては史上最大のレベル。

チェルノブイリよりもひどい汚染を引き起こしている。

避難民は13万人を超える、というNHKの報道を見ても、それは分かる。



だが、水俣には、「差別」の問題や、「法律という枠組みを超えて責任を取ろうとする」という企業姿勢の変化など、学ぶことが多い。

だから、これからは5年生で、放射能汚染だけではない、水俣+福島」という、ダブルセットの学習課題を設定するのが大事なんだと思う。



福島が大きすぎるからといって、





新しい教科書から、



「公害学習=福島」だけ、というようには、



してほしくない。






実は、去年まで、放射能汚染は公害とは呼ばなかった。

公の害、であるにも関わらず、だ。

言葉の上の定義だけであるが、放射能による大気の汚染、水の汚染、土の汚染はどれも、「公害」の規定には含まれていなかったからだ。



それが、2012年の9月以後、「公害」に含まれることになった。



2012年(平成24年)9月19日に環境基本法が改正施行され、これまで適用除外とされていた放射性物質を公害物質と位置づけることとなった。

環境省平成24年11月19日(月)に開催された中央環境審議会総会・中央環境審議会から環境大臣に対し意見具申『昨年の東京電力福島第一原子力発電所事故により当該原子力発電所から放出された放射性物質による環境汚染に対処する』の文言あり)



教科書の改訂があったためなのか、分からない。

他の理由ももちろんあるのだろうけど・・・。





これがなぜ、分かったかと言うと、子どもから質問があったからなので、



「先生、原発事故って、公害じゃないの?」



と聞かれたので、最初の授業では、



「いや、実は公害には含めないんです」



と間違えて、言っちゃった。



しかし、考えてみれば、



「人や企業の活動によって引き起こされた、相当な範囲の汚濁、汚染により、多くの人が苦しんでいる」



というのが公害であるから、当然、放射能汚染もそうなんだろう、と思うわけだよね。



子どももそう思ったみたいで、



「なんで、放射能は特別扱いなの?」



という質問になり、



「・・・うーん、公害って呼ばないようにするための、何か理由があるんだろうね」



で終わらせていた。







考えてみれば、社会の学習というのは、世の中の変化や事故により、少しずつ進化していくもの。

逆に言うと、何を扱って、何を扱わないか、という取捨選択が、とても大事なんだよね・・・。





水俣ではないが、福島の場合も、



〇「放射能」で苦しんできた人々のこと。

〇長引く避難生活で体調が悪化したり、自殺に追い込まれるなどの被害者差別的待遇があること。

〇「東電」という会社は、発電所運営に関する法律を順守していたこと。

これまだ⇒〇にも関わらず、最終的には最高裁により、「企業としての責任(企業犯罪)」を償え、とされたこと。






最後の一項目だけ、ちょっと水俣と違うみたいだ・・・。

ま、これからだよね。





写真は、とある蒸気機関車の中。

2013-09-20-14-45-00