[]【怒りを科学する】道徳授業で「怒り」を科学する

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道徳の授業で、「怒り」を科学していこうとしている。



すると、なんで腹が立つのか、と考えることになる。





子どもたちは、



「そんなの、あいつのせいだし・・・」、という。



〇〇くんのせいで、ぼくは腹が立った、という。



だいたい、みんなこの程度。



ここから先を考えたことある?ときくと、きょとん、としている。



先生、いったいどうしろっていうの?、となる。



わたしは、黒板に、



「怒りを科学する」



と書く。



すごいねえ、この展開。





私は、子どもたちに、「科学的探究の態度で、調べていくぞ」、とか言う。





腹が立った事例をまずは集める。



紙に書かせると、自分は悪くなくて、相手が悪い、ということが、これでもか、と書かれる。



どうして腹が立つんだ、と聞くと、みんな、





「いや、自分は悪くない。相手が悪いんだ」



と言う。



それは理由じゃないだろ、と言うと、きょとん、としている。



「でも、私は悪くなくて、相手が悪いんだから」



というから、悪いとか悪くないって知りたいんじゃないよ、先生はあなたが悪いなんて、一言も言ってないし、責める気もないよ、というと、やはり、きょとん。





腹が立ったらいけないと思います・・・、と最初から反省モードの子もいる。



「いや、反省しましょう、という時間でもないんだよ。もっと、ちゃんと、じっくり調べてみたいだけ」



というと、本当に心底、訳が分からない、という感じで、きょとん。



クラス中、全員が、きょとん状態。



口を半開きにして、ボーッとして、わたしの顔を見ている。



全員が。











これくらいが、今の状況。



要するに、怒りのことなんか、幼い頃から、まるで真正面からとらえたり、考えたりしたことが無いんだ。



縄文時代15