[]奇異だとみる〜人はなぜ苦しいのか〜



「あの人、変だよね」



言い慣れてるし、

聞き慣れてる。



こういうこと、よく、言っちゃう。







好意的ではない言い方で、相手に向かい、



「あなたは変だ」



と言う目的は、何だろう。



相手に、その行動を止めて欲しい、ということなのかなあ?



もしそうだとすると、やめさせたくなるのは、なぜなのか。

冷静に分析してみたくなる。





相手の行動に不協和音を感じずには居られない自分の心の状態。








目の前の人の行動を見て、

自分の心が、ざわめいてくるのは、なぜか。

落ち着いて、心の内を、分析すると・・・?





やめさせたい、というほどまで、

強く強く、口を出すのは、なぜか。(時には、手まで!)





「私の心が、どうにもざわめいて仕方がないから、頼むから止めてくれ」





と頼んでいるのなら、まだ、話しがストレートで、分かりやすい。



そうではなく、



「お前は、変だ」



というのね。ややこしいよね。





自分が困っている。



自分の困り感を、解消したい。



それで、いい考えを、思いつく。



つまり、相手に、行動を、変えてもらうのだ!





そのわりには・・・、





どうも、謙虚でない。



なんだか高慢な態度で、



ありがとうも何も言わず、相手に向かって、



態度を変えろ



と、脅す。



でないと、お前の存在を否定するぞ、そしてみんなに言いふらすぞ!



「あいつ、変だ!アタマ、おかしいんじゃね?」





⬆︎ほら、脅迫してるよね。





たぶん、素直に、謙虚にお願いしたり、話したりする余裕すら失ってしまって、

精神的に、



追い詰められている



からだと思う。



自分が、追い詰められていることを、知らない。



だから、苦しい。

謙虚になれない。

優しく、普通に、振る舞えない。

それどころか、人を、脅すようになる。



まあ、脅してる自覚もないし。

謙虚でない、という自覚もない。

自分の心の状態が、苦しい、ということすら、否定したい気持ちになってるのかもね。(⬅︎だから苦しい)







虫を鑑賞してる方は、楽しい。

裸足でランニングする側は、快適。

イモムシを眺める側は、心が躍(おど)っている。






そうではなくて、



「あいつ、変だ」 と、言う側は、



苦しさをかみしめている。



相手と溶け合えないから、苦しい。

なにかが腑に落ちないから、苦しい。