[]<ユニバーサルデザイン>昆虫クラブの真価

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ユニバーサルデザイン

という言葉に出会ってから、使えそうな言葉だ、という思いから、

「しめた!」

と興奮しながら丸3年が過ぎたところ。



真に人間向きの・・・なーんて、古臭いような言い回し、

ちっともなんだか通じていかないようで、こういうことを言いたい時も、一体どう言えばいいのか迷っていましたが、やはりこの、横文字がちょっとはイイようで・・・。



たとえば、職員室でも



「ユニバーサルな授業」



だとか、



ユニバーサルデザインとしての教室環境」



というような言葉であれば、なんだかちょっと、通じていきやすい。





さて、そこで、このユニバーサルデザイン、というか、要するに、万人向けの、人間向きの、という社会機構を考えているところでありますが・・・







先日、参加してみた<虫好きサークル>の活動は、まさにそんな手合いのものでした。



案外身近に、足下に、ユニバーサルの世界が見つかるものですね。







この虫好きサークルは、裾野がやわらかくて、なんとも参加しやすい。





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○その日、時間までに集合したメンバーが、本日の参加メンバーということになる。

○時間に居なければ、欠席とみなされる。

○一人がメンバーに登録されていれば、ヒマな家族を連れてきてもよい。

○もちものは、「軽食」が指定されているが、その他は特にない。




参加するにあたって、さしあたり気になるのは、この程度。

どうでしょうか?

参加するための、心意気だとか、よいしょ感とか、無いんですわ。



だから、どんな立場の人でも、とても参加しやすい。





さて、次に、参加して何をするかと言うと、





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「ほぼ、何もしなくていい」




のです。



ここが、また、いろいろな方が参加しやすい、というところで・・・。



ただ、単に、全員が目的地だけを共有し、





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○適当に歩きながら

○適当に虫を見つけながら(採集しながら)

○適当に話しながら




行動していればイイ、というだけ。



どうです?

垣根が無いでしょう。



急に虫を捕まえに走り出すのも可。

虫が逃げて笑い出すのも可。

ゆっくり水筒の茶を飲むのも可。

ひたすら無言で歩くのも可。



人種や趣味、性別、貧富の差、家柄、年齢、体力の差、得意不得意、というのが、関係ない世界。



おまけに、この世界は、偉い人が出ない仕組みになっていまして・・・。



というのは、虫にくわしい人が偉い、というような感じがないのです。

かえって、虫にくわしい人ほど、必ず言葉の最後に・・・



「・・・だと思うんですけどねえ。でもちがうかもしんない。亜種ということもあるからなあ」



というような、曖昧さを残す。



これは昆虫の世界があまりにも人知を超えるレベルであり、ふつうの人間が把握できる能力以上に多種多様で日々進化変化しているから。



ま、それなりにくわしい人でも、その情報を秘密に保持することができないというか、ぜんぶしゃべっちゃうし、しゃべった瞬間に、そのことがシロウトにも共有されるので、



偉さ が 瞬間に解消 されていく感じ、がある。



これが農業とかだと、○○先生の手にかかると、アスパラガスがとても上手にできたり、スイカが甘く大きく育ったりするので、○○先生の偉さは、何年も語り継がれることになるのですが・・・。



虫にくわしいだけでは、このような、○○先生、というようにはなりきれない。



というか、○○先生の前にだけ、珍しい蝶が飛んでくる、というのであれば面白いけど、その大変に珍しい蝶は、小学2年生の女の子の前に、ひらひら飛んできて、そのド素人の2年生の女の子がつかまえちゃうんだから、先生の方があわてて呼ばれて飛んでくるけど、このとき一番称賛されるのは、偉い先生ではなくて2年生の女の子だしね。



とまあ、このように、お茶や生け花、日本舞踊をはじめとした徒弟制度のようなヒエラルキーは、この



昆虫クラブ



には無い、のであります。





他にも、よくあるスポーツクラブのように、上手い子、下手な子、という区別が生まれない。



ありそうですけど、無いのです。



半分は、、だからね。虫が目の前を飛来するタイミングなんてのは・・・。



レギュラーの座もなければ、○○選抜大会とか、○○市長杯もない。



優勝、とか、試合とか、勝ち負けすら、存在しない。



昆虫クラブは、ヒーローやスーパースターの生まれにくい文化土壌なのです。



これが、世の中の価値規準からして、多少、ズレているため、このクラブは不人気なのですね。



切磋琢磨して情熱をぶつけよう!



とか、



上手くなってヒーローになろう!



とか、



あわよくば将来の『夢』につなげよう!



というような、上昇気流に乗っていくような高揚感や、浮揚感は、一切、ない。





ともかく、虫をみたって、腹は満たされないし、



「ほんと、虫見るだけでして」



という価値観が、本クラブには充満しております。



つまり、最初から、



価値とは向き合わない、という価値観なのです。



だから、昆虫分布の学術上はとても有益な活動をしているわけなのに、それをわざわざひけらかして声高に訴えるわけでもなく、かといって、



「ハ・・・虫クラブ?地味だし、一体なにそれ?意味フー」



というような方に向けて、格別に媚びたりへりくだって見せたりする、というような態度でもない。



つまり、あまり、自分たちの価値を、云々しないのであります。





ここが、広報活動としての失敗でありまして、世の中の人は、特に、



「価値が分かりやすい(あるいは分かりやすく広報されてる)」ものには飛びつくが、このように、



意味不明



というようなものには、あまり関心を向けないので・・・。









どうです?



こんな、穴場的な活動ほど、心地よさを感じて、来たくなる子って、いるでしょ。



わたし、クラスの子の顔が、何人も、思い浮かびました。



もちろん、ユニバーサルですから、どんな子にだって開かれているし、どんな子だって、心地よいと思うけど。









hosoi-kumo




弁当を食べていると、なにやら、机の上の「細い枯れた松の葉」が動き出したので、ビックり!!



良く見ると、身体から糸が出てる、その糸を、伝って歩いてる!!!



これって、ク、・・・クモだ〜!!!!(画面の中央の細いやつ)