[]いじめは、ある、と考えるのが普通



さて、いじめの話を聞く機会があった。
保護者です。

ご自分が、中学生のころ、悲惨ないじめがあった、というのです。
よく話してくれたと思うのですが、親として自分の息子を育てる立場になり、気心知れた、私には話をしたい、と常々思っていたとのこと。

どうしてああいうことが起きてしまったのか、子育てをするようになって、どうしても時折、あの頃のことが強い悔恨の念とともに、思い出すときがあって、忘れられない、ということでした。(お母様は実際の加害者側ではなかったが、傍観してしまった、ということでした)

「先生のクラスなら、けっしていじめはないだろうと安心しています」

とおっしゃっていただいたのだが、

「いや、いじめというのは、あるのが普通なんです。ない、という人は、見えていないだけですね。あるものを、なんとか食い止めていけるかどうか、ぎりぎりで持ちこたえている、というのが、日本の小学校のほとんどすべての実態だと思います」

と、私は言った。

どんなプロ教師の教室にも、いじめの芽はひそんでいる。
甘い教師は、その芽が見えないので、

「わたしのクラスには、ぜんぜんありませんヨ!」

なーんて、かんたんに言い放ってしまいます。
そう言っている、ということが、

「わたしは脇の甘い、素人教師でーす」

と言っているのと、ほぼ同義なんだと自戒しています。

さて、凄惨ないじめの報告を、保護者の許可を得て、掲載します。