[]雲(くも)をあやつる少年

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2年生の校舎に行く、石廊下のとちゅうで、少年が立ってた。



わたしはバケツの水を運んでいたので、



「ごめんね〜うしろ通るよ〜」



と後ろを通ろうとしたら、その少年が乳歯の抜けた顔をにやつかせながら振り向いて、



「先生、雲が消えたよ!」



と空を指した。



「雲?」



見上げると、秋晴れの、さわやかな青が目にとびこんでくる。





さっき、あそこに雲があったんだよね。ぼくが消えろと言ったら、消えたよ。



男の子は、そういうようなことを言った。



まっすぐな目で、本当に消えたのだ、と。



(だれかの真似をしたのかな?)













「雲、消えろって言ったら、消えたの?」



ときいたら、



目をきらきらさせて、そうだ、とうなづく。



こんなとき、あなたはどう返しますか?









わたしは、ははーん、と不敵に笑いながら、自慢し返しました。



「ふーん、すごいじゃん。・・・先生は、虫をよべるよ」



とっさに、すぐにこう返せるあたり、なかなか教師としての力量とセンスが光ってます。自画自賛。(笑)







運よく、その子が食いついてきた。



「ええ?虫がよべるの?どうやって?」





私はその子がやっていたように、廊下の端に静かに立って、なにかを念じているような風(ふう)にした。



そして、薄目で足元を確認し、その後おもむろに、小さなするどい息をしながら、シュッと腕を振り下ろした。





こちらを見ている子の視線を感じる。

目が真ん丸になっている。





わたしは、足元にひざをついて、大きなギシギシの葉の裏を指さした。



アリ がいた。



静かに、告げてみる。



「ほら」



目を半開きにしたまま、厳粛な雰囲気でそう告げると、



その子は、鼻で笑って、



「ただのアリじゃん」



と言った。







わたしはちがう、と言って、葉の裏のルリハムシを指した。



青く、光っている。



「あああ!!虫だァ!」







「ほうら」







その子は、すでに尊敬のまなざしである。





わたしは、こんなことはなんでもない、というふうにバケツを手に取り、すたすた歩きだす。



雲使いの少年は、小走りに追いかけて来て、



「ねえ、いつでも呼べるのー?」



わたしはさあ、というように無言で歩く。



「え、カブトムシもよべるー?」



「呼べるよ」



「すげーーー」












教師ともなれば、こんなことはお茶の子さいさい、なのであります。



なにがって、奇妙なしぐさと目の前の事象とを関連づいているかのように話す詐術のこと。



その気になれば、わたしはカブトムシを呼ぶ人にもなれる。

スゴイよね。









遠足の前になると、きまって私は晴れ男だ、と言いふらします。



で、晴れたのは、前日に先生が必死になって念じたから、であり、

雨になっても、本当は台風と竜巻がくるところを、せめて暴風雨にならないように念じていたから、実はこれくらいで助かったのである、という。







子どもたちは、そんなものは嘘だ、と見破ります。



しかし、真剣な顔つきで、



「いや、嘘だと思うのは自由だが、世の中には摩訶不思議なことがあるのだ」



と、静かに告げます。







後日、世の中がそんなに単純にできているものではないことを学習します。



〇〇を飲んで楽になった、というCMを見せて、

なぜそう言えるのか、と激論します。



青汁を飲んだから、今朝のお通じがスムーズだったのかどうか。

これ、激論になりますよ。







結果、青汁のせいだ、と理由を一つに絞り込むことはできない、という結論になります。

みんなが納得した後、「先生が晴れ男ではない理由」、という文章を書かせると、クラス全員、きっちりと書きます。



すべて、その理由は、



世の中は単純な一本線でつながって出来ているのではない、ということ



のおおらかな説明になっています。



子どもたちが、世の中をなめない人材に育つために、必要な学習です。

青汁を飲んだらお通じが良くなることがあるかもしれないが、お通じが良くなった原因は青汁を飲んだからであるとは決められない、ときちんと理解できる子にするために、わたしは身を張って、教えるわけです。











さて、ここに一枚の写真があります。



これは、わたしが消した雲がうつっている貴重な写真です。



わたしが念じたので、山あいに雲ができ、さらに強く念じると消えました。



え? 信じられない?

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家の裏です2